『比較文法』の序文、その書き出しの数行に、ボップはこの大著全体の設計図を書き込んでいる。8言語、千ページを超える本文に取りかかる前に、まず自分がどこまでを扱い、どこからは扱わないかを、読者に向けて明言しておく——この慎重さこそが、精読するに値する。
何を説明し、何を説明しないか
大部の書物にありがちな、漠然とした抱負の表明から始めるのではない。序文の最初の一文から、すでに具体的な射程が言い切られている。
序文はこう始まる。
Ich beabsichtige in diesem Buche eine vergleichende… Beschreibung des Organismus der auf dem Titel genannten Sprachen… und des Ursprungs der die grammatischen Verhältnisse bezeichnenden Formen. (私はこの書物において、書名に挙げた諸言語の有機体についての比較的な記述を……そして文法上の関係を示す諸形式の起源についての探究を、意図している。)
文法的な関係を示す「形式」の起源を探る——これがボップの目標だと、最初の一文ではっきり宣言される。8つもの言語を相手にする大著の冒頭で、まず自分が何を目指すのかを一文で言い切ってしまう——この単刀直入さも、この序文の特徴の一つだ。だがその直後、ボップは自分の探究に、意図的な限界を設ける。
Nur das Geheimnis der Wurzeln… lassen wir unangetastet; wir untersuchen nicht, warum z.B. die Wurzel I gehen und nicht stehen… bedeute. (ただし、語根の謎……にだけは、私たちは手を触れずにおく。たとえば、なぜ語根 I が「行く」を意味し「立つ」を意味しないのか……そうした問いは扱わない。)
このたとえで、ボップはあえて具体的な語根の対を持ち出している。「行く」を意味する I という短い語根と、「立つ」を意味する STHA(またはその縮約形 STA)という語根——なぜ前者がこの音を、後者があの音を担うのか、その結びつき自体には根拠がない。あるとすれば、それは歴史の偶然にすぎない、というのがボップの立場である。抽象的な原則を述べるだけでなく、こうして具体的な語根を名指しで持ち出す書きぶりは、この序文全体を通して繰り返される。
境界線を引くことの価値
なぜ、ある音の並びが、ある意味を持つのか——語根そのものの意味づけは、恣意的であり、理由を突き止めることはできない(この考え方は、のちにソシュールが「言語記号の恣意性」として理論化することになる問題意識に近い)。ボップはこの領域を、最初から探究の対象外だと明言する。ここに手を伸ばせば、際限のない思弁に迷い込みかねないことを、彼はよくわかっていたのだろう。だがその代わりに、文法上の形式——語尾や接辞——の起源については、これを解明できる対象として引き受ける。この特集の別の記事で読んだ、動詞の語尾が代名詞に由来するという発見は、まさにこの宣言のとおりに実行された仕事だった。何を「謎のまま残す」と決め、何を「解明できる」と見なすか——この最初の線引きが、大著全体の実行可能性を支えている。
この線引きは、単なる謙虚さの表明ではない。語根の意味づけにまで説明を広げようとすれば、検証しようのない憶測が際限なく積み重なっていく——ボップはそのことを見越して、あらかじめ自分の探究を、検証可能な範囲に閉じ込めておいたのだろう。
こうして眺めると、この序文は単なる挨拶文ではなく、大著全体の設計思想そのものであることがわかる。何を扱い、何を扱わないかを最初に言い切ってしまう書きぶりは、読者に対する一種の契約書のようにも読める。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 探究の目標 | 文法上の関係を示す形式(語尾・接辞)の起源を解明すること |
| 手を触れない領域 | 語根そのものの意味づけ(なぜその音がその意味を持つか) |
| 線引きの意義 | 恣意的で解明不可能な領域と、規則的で解明可能な領域を、最初に分けた |
| 実行された仕事 | 動詞の語尾を代名詞の化石として解明する、という具体的な成果 |
一言でいえば——ボップの大著が実現可能だったのは、彼が「すべてを説明する」と大言壮語しなかったからでもある。語根の謎は謎のまま残し、文法の形式だけに狙いを絞ったことが、この探究を現実のものにした。野心的な計画ほど、何を扱わないかを先に決めておく必要がある——序文のわずか数行に、そんな教訓も読み取れる。