MAP OF LANGUAGE / v0.4

言語地図

ことばは、ひと・文化・社会をつなぎ、世界をかたちづくるネットワークです。


すべての記事を、一本の木として並べています。根に根源的な問い、幹に学問の歴史、葉に具体的なテキスト。節をたどれば、それぞれの記事へ。

言語地図 ことばは、ひと・文化・社会をつなぎ、世界をかたちづくるネットワークです。 言語とは何か 言語とは何か ワンワン説、痛い説、チンドン説——言語起源論を、イェスペルセンが一刀両断する 「女性」の章を読む——イェスペルセンが真顔で書いた、今なら通らない主張 検証——イェスペルセンの『言語』は、百年後の言語学からどう見えるか ラスムス・ラスク『古ノルド語(アイスランド語)の起源に関する研究』(1818) を読む——グリムより4年早く、比較言語学の方法を打ち立てた男 語彙より文法を見よ——ラスクの方法論を、やさしく 旅する言語学者——ラスムス・ラスクの短くも波乱に満ちた生涯 「語源学は、これまで気まぐれの遊び場だった」——ラスク、1818年の原文を精読する 似ていても、油断するな——ラスクの比較の実践を読む なぜ「グリムの法則」で、「ラスクの法則」ではないのか 検証——ラスクの方法論は、二百年後の言語学からどう見えるか フランツ・ボップ『比較文法』(1833/1856) を読む——サンスクリット語という「新大陸」を、文法の一部始終にまで広げた男 文法は、化石ではなく生き物だ——ボップの発想を、やさしく 「私は与える」の「私」はどこに消えたのか——ボップの発見を、やさしく 「語根の謎には、手を触れない」——ボップ、1833年の序文を精読する -mi から -m へ——語尾がすり減っていく過程を、原文で追う 「グリムの見事な文法は、まだ知らなかった」——ボップが遺したもの、そして比喩の危うさ 検証——ボップの『比較文法』は、二百年後の言語学からどう見えるか アウグスト・シュライヒャー『比較文法要覧』(1861) を読む——植物学者が言語学に持ち込んだ、もう一つの自然科学 言語は「生きている」、しかし「歴史」は持たない——シュライヒャーの不思議な断言 進歩ではなく、衰退——シュライヒャーの言語史観 精読——「言語は生きる、しかし歴史は持たない」の原文と、三段階の言語分類 精読——星印(*)の発明、あるいは「再建された祖語」をどう書き記すか 系譜——ボップから受け継ぎ、ダーウィンと交わり、イェスペルセンに否定される 判定——シュライヒャーの『比較文法要覧』は、二百年近くのちの視点からどう見えるか カール・ブルークマン『比較文法要説』(1886) を読む——例外を許さない世代の教科書 「例外には、必ず理由がある」——青年文法学派が変えた、たった一つの姿勢 類推——子どもの言い間違いが、言語の歴史を書き換える 精読——序文の脚注一つに刻まれた、青年文法学派の宣言 精読——「ボップとシュライヒャーの、ちょうど中間」——ブルークマンによる自己位置づけ 系譜と論争——ボップとシュライヒャーを継ぎ、シューハルトに挑まれる 判定——ブルークマンの『比較文法要説』は、140年近くのちの言語学からどう見えるか デイヴィッド・W・アンソニー『馬・車輪・言語』(2007) を読む——200年越しの問いに、考古学が答える 馬の歯が語る——「轡(くつわ)」の跡から、乗馬の起源を突き止める 「車輪」ということばが、死んだ言語の年代を教えてくれる 精読——「事実という杭に打ち付けられた物語」——アンソニーの方法論 精読——「ヤムナ文化は爆発的に広がった」——祖語が分かれていった瞬間 系譜と論争——ジョーンズから続く問いを継ぎ、レンフルーに挑まれる 判定——『馬・車輪・言語』は、古代DNA革命を経て、どう見えるか 「ことばはなぜ変わるのか」の系譜——地図をひらく 対応の発見——ジョーンズとラスク 法則と有機体——グリムとボップ 自然物としてのことば——ミュラーとシュライヒャー 例外なき法則、そして人間への一歩——ブルークマン 進歩としての単純化——イェスペルセンの反転 実際に何が起きたか——アンソニーと、221年越しの答え 大槻文彦『言海』(1889–1891) を読む——日本に「近代的な国語辞典」がなかった時代 「あ・い・う・え・お」順に並べる、というアイデア 日本語を、日本語で説明する——あまりに当たり前で、気づかれない発明 精読——「此書ハ日本普通語ノ辭書ナリ」——大槻文彦、自らの方針を語る 系譜——国家の事業として始まった辞書、そして「大槻文彦一人」の仕事 系譜——『言海』の骨格は、なぜ今もすべての国語辞典に残っているのか 判定——『言海』は、130年以上のちの視点からどう見えるか 山田孝雄『日本文法論』(1908) を読む——全ての先行研究を斬ってから、自分の理論を立てた男 陳述論とは何か——日本語の文は、最後まで言わないと「何をしたいのか」決まらない 係り結びとは何か——古典日本語にだけあった、文末を遠くから決める呼応 精読——「単一なる思想とは、一箇の統覚作用によりて統一されたるもの」——陳述論の原文 精読——「從來係り詞と稱せられたるもの」——係助詞をめぐる、先人たちとの対話 系譜——「陳述」ということばは生き延び、山田文法そのものは学校に採用されなかった 判定——『日本文法論』は、100年以上のちの日本語学からどう見えるか 橋本進吉を読む——「文節」と「上代特殊仮名遣」、二つの発見が日本語の見え方を変えた 文節とは何か——文を「切れる所」で区切ると、日本語の骨組みが見えてくる 上代特殊仮名遣とは何か——奈良時代の人は、今の「き」を二つの音で言い分けていた 精読——「その間を切る事はありません」——文節の土台になった、独立する語と附属する語の区別 精読——「實に思ひがけないことであります」——万葉仮名の二つのグループを見つけるまで 遺産と影響——学校文法の土台になった文節、そして有坂秀世へ受け渡された八つの母音 判定——橋本進吉の二つの発見は、いま、どこまで生きているか 有坂秀世を読む——奈良時代の日本語には、母音が八つあったのか 五つの母音が八つになる——甲乙の違いは、どこに出ているか 有坂の法則とは何か——語のなかで、一緒に現れない母音がある 「ん」の音は、本当に一つか——音声と音韻のちがい 精読——「音韻は寧ろ貨幣そのものに譬へらるべきである」——ソシュールに異を唱えた箇所 精読——「我々は、既に出来上つた音韻制度を親たちから受けついだのである」——音韻の体系は、誰が作ったのか 遺産と判定——有坂の法則は動かず、八母音は議論が続き、『音韻論』は問いとして残った 新村出を読む——一つの言葉の来歴を、証拠で追いかけた人 「とても」は、なぜ昔は「とても面白い」と言えなかったのか 「右」と「左」は、どこから来た言葉か——ミギとヒダリの語源説を並べる 「キセル」はどこの言葉か——新村出が、自分の最初の説を取り下げるまで 精読——「とても使ひえないのである」——「とても」を、原文で確かめる 精読——「漢學者の故事附けで取るに足らない」——「馬鹿」の俗説を、一つずつ検証する 遺産と判定——語源の答えは動いても、新村出の「確かめ方」は残る 折口信夫を読む——言葉を、古代の人の暮らしと信仰から読み直した人 「いとほし」は、もと「嫌だ」だった——「いとしい」に化けるまで 「ハイカラ」は、もと悪口だった——「高襟」と「灰殻」の話 古代の複合語は、順番が逆だった?——「梯(はしだて)」「傍丘(かたおか)」「下沓(したうづ)」 精読——「言霊の幸ふ国」は、言葉をほめた言葉ではなかった 精読——「単なる音韻変化ではない」——酒が「さか」になり、木が「こ」になる理由 遺産と判定——観察は残り、推測は仮説として読む 上田万年を読む——「国語」という枠組みを作り、ハ行はもとP音だったと論じた人 「おこりっぽい」の「ぽ」は、なぜ「ぽ」なのか——ハ行がもとP音だった証拠 「もって」「いって」の「っ」は、どうやってできたのか——促音の仕組み 標準語は、どうやって作られるのか——「もと一個の方言」という考え方 精読——「B=(?)=P」——濁音から、消えた清音を逆算する 精読——「一國一般の言語」——「国語と国家と」は、何を言っていたのか 遺産と判定——音の推理は生き残り、「国語」の主張は問い直された 金沢庄三郎を読む——「耳・目・鼻・口」から日本語の古い姿を探り、日韓同系を唱えた人 「雲」から「曇る」、「手」から「取る」——物の名と、動作の名 「涙」の「な」は、目の古いことばか——「泣く」との、つながり 東・西・南・北の名は、どこから来たのか——太陽、風、そして人の移動 精読——「泣く・嗅ぐ・言ふ・聞く」——動作の語に残った、目・鼻・口・耳の古語 精読——「朝鮮語は我帝国の一方言として」——併合の年に、金沢庄三郎が書いたこと 遺産と判定——語の生まれ方の見方は残り、「同系」の証明は残らなかった 松下大三郎を読む——「花を」「月に」を一つの「詞」と見て、日本語の文法をゼロから組み立て直した人 「花を」は一つの詞、「を」は部品——言語を三つの階段に分ける 九つの品詞が、五つになった——助詞・助動詞は「靴」である 「これ、何をする」の「これ」は、代名詞か感動詞か——直観の詞と、概念の詞 精読——「學生らしい」は三つの原辞でできた一つの詞——原辞論の書き出しを読む 精読——「者」「こと」「筈」「ため」——名詞を三つに分けた、形式名詞 遺産と判定——「形式名詞」は生き残り、「助詞は単語ではない」は少数派にとどまった 川端康成『雪国』の冒頭で学ぶ、日本語の基礎 森鷗外『阿部一族』の第一文で学ぶ、日本語の長い文 夏目漱石『こころ』の第一文で学ぶ、日本語の文章 三島『潮騒』の三文で学ぶ、日本語の基礎文法 三島由紀夫『潮騒』の冒頭で読む、日本語の叙述 森鴎外「言語の起原」附記を読む——ことばの起源をめぐる十九世紀の論争 ソシュールと、言語学の誕生 ピジン語は、崩れた英語ではない——イェスペルセンのピジン語論を読む 子どもの言い間違いは、間違いではない——イェスペルセンの子ども観察を、やさしく 英語は退化していない、進歩している——イェスペルセンの挑発を、やさしく オットー・イェスペルセン『言語——その本質・発展・起源』(1922) を読む——比較言語学の百年を、一冊にまとめた男 検証——ミュラーの講義は、百六十年後の言語学からどう見えるか 「アーリア人種」ではない——ミュラー自身が、生涯をかけて訂正しようとした誤解 神話は「言語の病」である——ミュラーの比較神話学 孤立語・膠着語・屈折語——ミュラーの言語分類を精読する 「グリムの法則」と名づけ、広めたのはミュラーだった 「言語学は自然科学だ」——ミュラーの挑発を、やさしく マックス・ミュラー『言語学講義』(1861/1863) を読む——言語学を、満員の講堂の見世物にした男 検証——グリムの法則は、二百年後の言語学からどう見えるか 「思いつき」から「学問」へ——グリムの法則が言語学に残したもの father と brother、なぜ片方だけ「不規則」なのか——グリムの法則の例外と、それを解いた男 584ページの表を読む——グリム『ドイツ語文法』第2版・原文精読 メルヒェン集めと文法研究は、なぜ同じ人の仕事だったのか——グリム兄弟ともう一つの顔 グリムの法則を、やさしく——father と pater は、なぜ似ていないのに「同じ単語」なのか ヤーコプ・グリム『ドイツ語文法』第1部・第2版 (1822) を読む——メルヒェンを集めた学者が、言語に「法則」を見つけるまで 検証——ジョーンズの言語の予測は、どうなったか 神々の比較——同じ手つきが、どこまで届き、どこで行き過ぎたか ジョーンズの発見を、トピックごとに 反響と系譜——直観から、法則へ 「偶然」でも「借用」でもなく——ジョーンズの比較の論理 ジョーンズの発見を、やさしく言うと ウィリアム・ジョーンズ『第三回記念講演』(1786) を読む——一つの段落が、言語学という学問を生んだ 像から使用へ、そして行為へ——ウィトゲンシュタイン、チョムスキー、オースティン 本能でも人種でもない——サピアと複数の世界観 差異の体系へ——ソシュールと言語学の自立 言語は「働き」である——フンボルトの転回 文法は心を写す——ポール・ロワイヤルの賭け 問いの誕生——プラトンとアリストテレス 「言語とは何か」の系譜——地図をひらく 判定・権能行使・約束・態度表明・言明——発語内行為を分類する、最後の試み 発語行為・発語内行為・発語媒介行為——「言う」の中の三つの層 適切性条件——遂行文は、こうして「空振り」し、こうして「濫用」される 遂行文と事実確認文——「言うこと」と「すること」のあいだで、線はどこに引けるか 『言語と行為』の6つの発見を、一つずつ 『言語と行為』を、やさしく言うと オースティン『言語と行為』(1962) を読む——「言うこと」は「すること」である 「狩人たちの射撃」は二通りに読める——構造のあいまいさと、統語論の自律性 否定・疑問・do——一つの分析がすべてを説明する 句構造文法の限界——なぜ「受動文」は書き換え規則で書けないのか 「無色の緑の観念が猛烈に眠る」——文法は意味でも確率でもない 『統辞構造論』の9つのアイデアを、一つずつ 『統辞構造論』を、やさしく言うと チョムスキー『統辞構造論』(1957) を読む——文法は、意味から独立している 関係代名詞と「隠れた文」——一つの語に、いくつの判断が畳み込まれているか 動詞の解剖——人称と数、時制、そして「われ思う、ゆえに我あり」の動詞 実体詞と形容詞——「白い」は何を、どう意味しているか アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(後半):動詞は「言い切る」ことば、そして文の中に隠れた文 アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(前半):頭の中をのぞくと、文法が見えてくる アルノー & ランスロ『一般理性文法』(1660) を読む——言語のかたちは心のかたちを写す、という賭け 明日、海戦は起こるか——未来の偶然と決定論 肯定と否定、全称と特称——「対立の四角形」の起源 真偽が宿るのは「主張文」だけ——祈りは論理学の外 名詞と動詞——動詞は「時」をいっしょに示す 「取り決めによる」——アリストテレスがクラテュロスに与えた答え アリストテレス『命題論』を読む——ことばは「取り決めによる記号」、真偽が宿るのは文だけ 名前からは真理を学べない——『クラテュロス』の結末とイデア論 名前は「声によるまね」——ρ は運動、λ はなめらかさ 語源の奔流——名前は理論を宿す(そしてそれは冗談か) 名前は「道具」である——梭(ひ)と、名前をつくる立法者 フュシスかノモスか——名前の「正しさ」をめぐる二つの立場 プラトン『クラテュロス』を読む——名前は「自然」か「取り決め」か、西洋で最初の言語哲学 言語類型と「序列」の問題——フンボルトからサピアへ 思考を形づくる器官、対話に宿ることば 有限の手段の無限の使用——生成文法の源流 世界観——言語は民族のまわりに円を描く 内的言語形式——言語の「かたち」は音でも規則でもない エネルゲイア——言語は「物」ではなく「働き」である フンボルト『言語構造の多様性について』(1836) を読む——言語は「作品」ではなく「活動」である 規則に従うこと、そして私的言語 家族的類似——「考えるな、見よ」 言語ゲームと「意味とは使用である」 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」——言語の限界 像の理論——「命題は現実の像である」 ウィトゲンシュタインと言語——「像」から「言語ゲーム」へ 価値と差異——「言語には差異しかない」 共時態と通時態——言語を「今」で見るか、「流れ」で見るか 記号の恣意性——なぜ「木」は tree でも Baum でもよいのか 言語と文学——翻訳できるもの、できないもの(サピア第11章) 音のパターンから音素へ——サピア第3章と、その後の音韻論 言語・人種・文化は別物——サピアの分離論 サピアの「ドリフト」——言語は時間の流れを下り、自分の勾配を持つ サピア『言語』をやさしく読む(後半):かたち、意味、そして言語に優劣はない サピア『言語』をやさしく読む(前半):ことばは本能か、音とは何か エドワード・サピア『言語』(1921) を読む——ことばは本能でも人種でもない langage・langue・parole——ソシュールが「ことば」を三つに分けた理由 『一般言語学講義』をやさしく読む(後半):体系はどう働き、どう変わるか 『一般言語学講義』をやさしく読む(前半):言語とは何か、記号とは何か ソシュール『一般言語学講義』の概要 言葉とは? 『阿部一族』の長文 『統辞構造論』 フンボルト『多様性』 ウィトゲンシュタイン サピア『言語』 『講義』概要
ToL · Words Connect Worlds 01 — 05
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