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遺産と判定——「形式名詞」は生き残り、「助詞は単語ではない」は少数派にとどまった
「形式名詞」という用語は、今も、ふつうに使われる。一方、助詞・助動詞を品詞から外す五品詞は、学校文法には採られなかった。松下大三郎の仕事を、用語、単位の切り方、品詞の三つに分けて採点する。
精読——「者」「こと」「筈」「ため」——名詞を三つに分けた、形式名詞
「知らざる筈なし」の「筈」は、何を指しているのか。「来る者は拒まず」の「者」は。松下大三郎は、名詞を、本名詞・代名詞・形式名詞の三つに分け、意味が抜けて形だけが残った名詞を、「形式名詞」という名で、はっきり位置づけた。第三編の、その箇所を原文で読む。
精読——「學生らしい」は三つの原辞でできた一つの詞——原辞論の書き出しを読む
「山」は、それだけで一つの詞になれる。だが、音読みの「山(サン)」は、なれない。「を」も、「に」も、なれない。松下大三郎は、詞の部品を「原辞」と呼び、その結びつき方の決まりを、文法学の一つの柱にした。第二編「原辞論」の総説を、原文で読む。
「これ、何をする」の「これ」は、代名詞か感動詞か——直観の詞と、概念の詞
「これ」は、名前の代わりをする代名詞だと習う。だが、「これ、何をする」と言うときの「これ」は、何かの代わりだろうか。松下大三郎は、代名詞は感動詞に変わりやすい、と言う。そこには、詞を「直観」と「概念」で分ける、独特の考えがあった。
九つの品詞が、五つになった——助詞・助動詞は「靴」である
学校で習う品詞は、名詞、動詞、形容詞、助詞、助動詞……と、十ほどある。松下大三郎は、日本語の品詞を五つにした。助詞と助動詞は、品詞から外れる。その理由は、「人と靴」のたとえで説明される。
「花を」は一つの詞、「を」は部品——言語を三つの階段に分ける
文は、単語が並んでできている。松下大三郎は、そう考えなかった。言語には、話の単位(断句)、詞(念詞)、詞の部品(原辞)という、三つの階段がある。「花を」「月に」「咲きたり」が、一つの詞なのはなぜか。
松下大三郎を読む——「花を」「月に」を一つの「詞」と見て、日本語の文法をゼロから組み立て直した人
「を」「に」「たり」は、一つの単語ではない。「学生らしい」は、三つの部品でできた一つの詞である。松下大三郎(1878–1935)は、学校で習う文法とはまったく違う出発点から、日本語の文法を組み立てた。『標準日本文法』(1924) の見取り図を、原文の言葉で読む。
遺産と判定——語の生まれ方の見方は残り、「同系」の証明は残らなかった
物の名から動作の語が生まれる、という見方は、今も日本語の語形成の基本にある。「し」は風、という東西の説も、今も紹介される。一方、耳目鼻口の対応と日韓同系論は、証明された説にならず、政治の場でも使われた。金沢庄三郎の仕事を、分けて採点する。
精読——「朝鮮語は我帝国の一方言として」——併合の年に、金沢庄三郎が書いたこと
1910年、日本が朝鮮を併合した年。金沢庄三郎は、『国語の研究』に、「朝鮮に於ける国語問題」という文章を収めた。日本語の普及を急ぐ声に慎重を求めながら、朝鮮語を「帝国の一方言」と位置づける。称賛も断罪もせず、当時、何が書かれたかを、原文で確かめる。
精読——「泣く・嗅ぐ・言ふ・聞く」——動作の語に残った、目・鼻・口・耳の古語
日本語には、「目」「鼻」「口」「耳」という語がある。それでも金沢庄三郎は、その古い形は朝鮮語に伝わり、日本語には「泣く」「嗅ぐ」「言ふ」「聞く」という動作の語のなかに残った、と考えた。「耳目鼻口」の論の運びを、原文で読む。
東・西・南・北の名は、どこから来たのか——太陽、風、そして人の移動
東(ひがし)と西(にし)の「し」は、風のことだという説。南北は、太陽の動きから。そして、インド・ヨーロッパ語族の言葉では、東が「前」、南が「右」。金沢庄三郎は、方位の名の由来を、三つの手がかりで整理した。
「涙」の「な」は、目の古いことばか——「泣く」との、つながり
「涙(なみだ)」は、昔から「泣き水垂り」の縮まったものだと言われてきた。金沢庄三郎は、朝鮮語の「目」と「水」をつないだ言葉と並べて、「な」は「目」の古語ではないか、と考えた。「泣く」も、その「な」から生まれた動詞だという。
「雲」から「曇る」、「手」から「取る」——物の名と、動作の名
「雲」に「る」がついて「曇る」。「手」でするから「取る」。日本語には、物の名前から動作の名前を作ったり、動作の名前から物の名前を作ったりする仕組みが、ふんだんにある。金沢庄三郎が、「耳目鼻口」の冒頭で挙げた例を見る。
金沢庄三郎を読む——「耳・目・鼻・口」から日本語の古い姿を探り、日韓同系を唱えた人
「太刀」は「断つ」から、「曇る」は「雲」から。「涙」の「な」は、古い「目」のことばか。東・西・南・北の名は、どこから来たのか。金沢庄三郎(1872–1967)は、身近な語の成り立ちを、朝鮮語や梵語、アイヌ語と比べて探った。同時に、その比較を、政治の時代に置いた人でもある。『国語の研究』(1910) を読む。
遺産と判定——音の推理は生き残り、「国語」の主張は問い直された
ハ行はもとP音だったという上田万年の推理は、現在の通説の骨格になった。促音の説明も、今も使われる。一方、「言語の一致と人種の一致を守れ」という「国語と国家と」の主張は、後の時代に、大きく問い直されることになった。二つの仕事を、分けて採点する。
精読——「一國一般の言語」——「国語と国家と」は、何を言っていたのか
言語の一致と、人種の一致を、国家の課題として守れ。上田万年は、『国語のため』(1897) の巻頭で、そう述べた。同じ文章に、「言語は精神の化身」という、言語観の核心も書かれている。称賛も断罪もせず、当時、何が言われたかを、原文で確かめる。
精読——「B=(?)=P」——濁音から、消えた清音を逆算する
バ行の濁音「ば」に対応する清音は、「は」なのか、「ぱ」なのか。上田万年は、タ行とダ行、カ行とガ行の関係から、この問いを解く。さらに、梵語の音の写し方と、アイヌ語の中の日本語から、証拠を重ねる。「P音考」の推理の運びを、原文で読む。
標準語は、どうやって作られるのか——「もと一個の方言」という考え方
標準語は、誰かが理想の言葉を発明したものではない。上田万年は、ドイツやイギリスの例を引きながら、標準語も、もとはどこかの方言だったこと、そして、人の手で磨かれ、保たれてきたことを説明した。「標準語に就きて」を読む。
「もって」「いって」の「っ」は、どうやってできたのか——促音の仕組み
「持ちて」が「もって」に、「行きて」が「いって」になる。真ん中の音が消えて、「っ」が生まれる。この現象を、上田万年は「促音」と呼び、音が消える仕組みを、ローマ字に書き直して見せた。
「おこりっぽい」の「ぽ」は、なぜ「ぽ」なのか——ハ行がもとP音だった証拠
「おこり」に「ほい」がつくと、「おこりっぽい」になる。「ほい」ではなく「ぽい」。同じことが「しめっぽい」「さつまっぽう」にも起こる。上田万年は、この小さな癖に、千年以上前のハ行の音の名残を見た。
上田万年を読む——「国語」という枠組みを作り、ハ行はもとP音だったと論じた人
「おこりっぽい」「しめっぽい」の「ぽ」は、なぜ「ぽ」なのか。上田万年(1867–1937)は、この小さな事実から、日本語のハ行は古くはP音だったと論じた。同じ人が、「国語」という考え方そのものを、国家と結びつけて世に問うた。『国語のため』(1897)『国語のため 第二』(1903) を読む。
遺産と判定——観察は残り、推測は仮説として読む
「いとほし」の意味の変化は、今も通用する説明。「酒→さか」の現象は、後の研究者が別の言葉で整理した。一方、古代の語順の説や、冬の語源のような推測は、仮説として読むしかない。折口信夫の言葉の話を、確かなものと推測に分けて採点する。
精読——「単なる音韻変化ではない」——酒が「さか」になり、木が「こ」になる理由
「酒」が「酒樽」では「さかだる」になる。「木」が「黄金(こがね)」では「こ」になる。これを、折口信夫は、「単なる音韻変化ではない」と言う。論文「熟語構成法から観察した語根論の断簡」(1931) を、原文で読む。
精読——「言霊の幸ふ国」は、言葉をほめた言葉ではなかった
「言霊の幸ふ国」は、日本語の美しさをたたえる言葉だと、よく言われる。折口信夫は、講演「国語と民俗学」(1937)で、それは後世の誤解だと述べる。もとは、言葉に宿る精霊への信仰だった。原文で、その論の運びを読む。
古代の複合語は、順番が逆だった?——「梯(はしだて)」「傍丘(かたおか)」「下沓(したうづ)」
「高い山」は、修飾する「高い」が先に来る。ところが、折口信夫は、古代の日本語には、名詞が先で、修飾する部分が後ろに来る複合語があった、と論じる。「橋」が垂直のものも指した、という話とあわせて、その見方を追う。
「ハイカラ」は、もと悪口だった——「高襟」と「灰殻」の話
今の「ハイカラ」は、おしゃれで新しい、という褒め言葉。ところが、折口信夫の講演によれば、この言葉は、もと新聞記者が、洋行帰りの人を馬鹿にして付けた悪口だった。褒め言葉に変わった経緯を、折口の語りで追う。
「いとほし」は、もと「嫌だ」だった——「いとしい」に化けるまで
「おいとしい」は、かわいくて大切に思う気持ち。ところが、その元になった古語「いとほし」は、もとは「嫌だ」を意味していたらしい。折口信夫が、別の言葉に引っぱられて意味が変わる仕組みを、この一語で説明する。
折口信夫を読む——言葉を、古代の人の暮らしと信仰から読み直した人
「いとほし」は、もと「嫌だ」の意味だった。「ハイカラ」は、もと悪口だった。折口信夫(1887–1953)は、民俗学者・歌人として知られるが、日本語そのものについても、独特の視点で語り続けた。講演「国語と民俗学」(1937)と論文「語根論の断簡」(1931)を読む。
遺産と判定——語源の答えは動いても、新村出の「確かめ方」は残る
「キセル」はカンボジア語。「馬鹿」の趙高説は俗説。「右左」は今も決着せず、「とても」は語源より観察が光る。新村出が四つの言葉で示した答えは、それぞれ違う運命をたどっている。だが、証拠を並べ、言い切る範囲を区切り、間違えれば直すという確かめ方は、今も通用する。
精読——「漢學者の故事附けで取るに足らない」——「馬鹿」の俗説を、一つずつ検証する
「馬鹿」は、秦の趙高が鹿を馬と言い張った故事から来た——という有名な話を、新村出は、「取るに足らない」と退ける。では、本当の語源は何か。梵語説をたどり、最後は「決定しかねる」と書いて終える。『日本の言葉』の「馬鹿考」を、原文で読む。
精読——「とても使ひえないのである」——「とても」を、原文で確かめる
「吾々の言語有機體は固定してしまつてゐる」。1940年の新村出は、「とても面白い」を自分では言えない、と正直に書く。そのうえで、「とても」の語源を、中世の謡曲まで遡って確かめる。『日本の言葉』の「山言葉」「とても補考」を、原文で読む。
「キセル」はどこの言葉か——新村出が、自分の最初の説を取り下げるまで
煙管を「キセル」と呼ぶのは、なぜか。新村出は、最初、トルコの小さな町の名を思いついた。しかし、ある人の指摘で、自分の説をあっさり取り下げる。その道筋には、大槻文彦の『言海』の誤りも顔を出す。
「右」と「左」は、どこから来た言葉か——ミギとヒダリの語源説を並べる
ヒダリは「日足り」か、それとも「日垂り」か。ミギは「曲がる」から来たのか、「握る」から来たのか。左右という、いちばん身近な言葉にも、決着していない語源の議論がある。新村出が、諸説を並べ、自分の説を添える。
「とても」は、なぜ昔は「とても面白い」と言えなかったのか
「とても面白い」「とてもおいしい」——今は当たり前だが、1940年の新村出は、この言い方を「新しい流行語」として観察している。もとの「とても」は、「とてもできない」のように、否定とだけ結びつく言葉だった。その理由を、語源から追う。
新村出を読む——一つの言葉の来歴を、証拠で追いかけた人
「とても面白い」は、なぜ昔は言えなかったのか。バカ、キセル、右と左——身近な言葉の由来を、新村出(1876–1967)は文献の証拠をたどって調べ、ときには自分の説を自分で取り下げた。『日本の言葉』(1940) を読む。
遺産と判定——有坂の法則は動かず、八母音は議論が続き、『音韻論』は問いとして残った
有坂秀世の仕事は、三つの層で評価が違う。語のなかの母音の規則性(有坂の法則)は、古代日本語研究の土台になった。八母音説は、有力だが決着していない。そして『音韻論』は、答えではなく、「音とは何か」という問いの立て方として、生き続けている。
精読——「我々は、既に出来上つた音韻制度を親たちから受けついだのである」——音韻の体系は、誰が作ったのか
日本語の音の区別は、私たちが必要だから作ったものではない。祖先が作り、私たちはそれを受け継いだだけだ。有坂秀世は、プラハ学派のトルベツコイに正面から反論しながら、お菓子のたとえで、音韻の体系のあり方を語る。『音韻論』(1940) の第一編を、原文で読む。
精読——「音韻は寧ろ貨幣そのものに譬へらるべきである」——ソシュールに異を唱えた箇所
ソシュールは、言語の音を「貨幣の価値」にたとえた。有坂秀世は、それに異を唱え、「貨幣そのもの」にたとえ直す。すり減った硬貨が、それでも硬貨として通用するのはなぜか——『音韻論』(1940) の第一編を、原文で読む。
「ん」の音は、本当に一つか——音声と音韻のちがい
「本」「さんま」「さんかく」の「ん」は、口の形も舌の位置も、実はみな違う。それなのに、私たちは、どれも同じ「ん」だと感じる。この、耳で感じる「同じ」の正体を、有坂秀世の『音韻論』(1940) は、「音韻」と呼んで問い直した。
有坂の法則とは何か——語のなかで、一緒に現れない母音がある
奈良時代の日本語の、一つの語のなかには、決して同居しない母音の組み合わせがあった。この規則性は、甲乙の違いが「母音」の違いだったことを示す、強い証拠になった。有坂秀世が見つけた法則を、専門用語をなるべく使わずに紹介する。
五つの母音が八つになる——甲乙の違いは、どこに出ているか
橋本進吉が見つけた甲類・乙類の書き分けは、「き」「け」「こ」の仲間にだけ現れ、「か」や「く」の仲間には現れない。この偏りが、二つの音の違いが「母音」にあったことを示す、最初の手がかりになった。専門用語なしで、五が八になる筋道を追う。
有坂秀世を読む——奈良時代の日本語には、母音が八つあったのか
橋本進吉が見つけた、万葉仮名の二つのグループ。その違いは、何の違いだったのか。有坂秀世(1908–1952)は、語のなかの母音の組み合わせに隠れた法則から、その答えに迫り、さらに『音韻論』(1940) で、「音」とは何かという問いそのものを組み立て直した。
判定——橋本進吉の二つの発見は、いま、どこまで生きているか
上代特殊仮名遣は、今日の古代日本語研究の、動かない前提になっている。一方、文節は、教室では欠かせないが、研究の現場では、そのまま万能の単位とは見られていない。同じ一人の学者の二つの仕事が、まったく違う評価を受けている。
遺産と影響——学校文法の土台になった文節、そして有坂秀世へ受け渡された八つの母音
橋本進吉の二つの仕事は、その後、まったく違う道をたどった。文節は、教室で日本語を教える言葉として、広く根づいた。上代特殊仮名遣は、より若い研究者たちの手で、「奈良時代の日本語には八つの母音があった」という大きな仮説へと発展していく。
精読——「實に思ひがけないことであります」——万葉仮名の二つのグループを見つけるまで
橋本進吉は、この発見を、自分一人の手柄にしなかった。江戸の国学者・石塚龍麿の埋もれた写本、本居宣長の観察、そして自分の整理。『古代国語の音韻に就いて』(1942) の講演記録を、発見が積み上がっていく順に読む。
精読——「その間を切る事はありません」——文節の土台になった、独立する語と附属する語の区別
学校で習う文節の考え方は、橋本進吉が、単語を「独立する語」と「附属する語」に分けたところから始まる。基準は、意味ではなく、実際に声に出したとき、間に切れ目を入れられるかどうか。『新文典別記 上級用』(1935) の第一章を、原文で読む。
上代特殊仮名遣とは何か——奈良時代の人は、今の「き」を二つの音で言い分けていた
「雪」の「き」と「月」の「き」は、奈良時代の書物のなかで、決して同じ漢字では書かれない。今の私たちには同じ「き」に聞こえる音が、千三百年前の日本語では、はっきり二つに分かれていた。文字の使い分けから、消えた音の区別を掘り起こした発見を、専門用語なしで紹介する。
文節とは何か——文を「切れる所」で区切ると、日本語の骨組みが見えてくる
「私は昨日図書館で本を借りた。」——この文は、いくつのかたまりでできているか。「ね」を入れて確かめると、日本語の文が、どんな部品の並びでできているかが、目に見えてくる。橋本進吉が作った、学校文法の土台を、専門用語なしで紹介する。
橋本進吉を読む——「文節」と「上代特殊仮名遣」、二つの発見が日本語の見え方を変えた
学校で習う「文節」に区切る文法と、奈良時代の日本語には今より多くの音の区別があったという発見。橋本進吉(1882–1945)は、まったく別の二つの場所で、日本語の姿を書き換えた。原典は『新文典別記』(1935) と『古代国語の音韻に就いて』(1942)。
判定——『日本文法論』は、100年以上のちの日本語学からどう見えるか
「陳述」という発想、「文は最後まで言われないと完結しない」という洞察は、今も生きている。だが、その仕組みをドイツ心理学の「統覚作用」で説明する部分は、後続の研究者によって、幾度も書き換えられてきた。手本のないところから始まった仕事を採点する。
系譜——「陳述」ということばは生き延び、山田文法そのものは学校に採用されなかった
山田が作った「陳述」という用語は、今も日本語文法学の基本語彙であり続けている。しかし、学校で教わる文法——「文節」に区切って読むあの方式——は、山田ではなく、次の世代の橋本進吉が作ったものだった。
精読——「從來係り詞と稱せられたるもの」——係助詞をめぐる、先人たちとの対話
本居宣長、富士谷成章……山田は、係り結びの仕組みそのものよりもまず、それを指すことばを、誰がどう呼んできたかを一つひとつ検討する。「係る」という一語の由来を、原文で読む。
精読——「単一なる思想とは、一箇の統覚作用によりて統一されたるもの」——陳述論の原文
句とは何か。山田孝雄は、ヴントの心理学から借りた「統覚作用」という概念を軸に、単一の思想がどうして一つの「句」としてまとまるのかを説明していく。『日本文法論』第二部「句論」の核心を、原文で読む。
係り結びとは何か——古典日本語にだけあった、文末を遠くから決める呼応
「花ぞ咲きける」「花こそ咲きけれ」——文の途中に「ぞ」や「こそ」が一つ入るだけで、遠く離れた文末の活用形が変わってしまう。現代語にはもう存在しない、古典日本語だけの不思議な仕組みを読む。
陳述論とは何か——日本語の文は、最後まで言わないと「何をしたいのか」決まらない
「花が咲く」「花が咲くか」「花が咲け」——並んでいる単語はほとんど同じなのに、文末が変わるだけで、報告・質問・命令へと、まったく別の行為になる。山田孝雄が「陳述」と名づけた、日本語の文を文たらしめる仕組み。
山田孝雄『日本文法論』(1908) を読む——全ての先行研究を斬ってから、自分の理論を立てた男
富士谷成章、本居宣長、鈴木朖、大槻文彦……江戸から明治までのほぼ全ての文法家の説を、一人ひとり名指しで検討してから、山田はようやく自分の理論を語り始める。二千頁近い大著の、その徹底ぶりから読む。
判定——『言海』は、130年以上のちの視点からどう見えるか
五十音順、発音表記、品詞分類、日本語による語釈——『言海』が築いた骨格は、今も生きている。だが、そこに収められた個々の語釈には、明治という時代の限界も、当然刻まれている。手本のないところから始まった仕事を、130年以上のちの視点から採点する。
系譜——『言海』の骨格は、なぜ今もすべての国語辞典に残っているのか
『広辞苑』も『大辞林』も、五十音順に単語を並べ、品詞を示し、日本語で語釈を与える。この当たり前の骨格は、すべて『言海』に由来する。一冊の辞書が、なぜ130年以上にわたって「型」であり続けているのか。
系譜——国家の事業として始まった辞書、そして「大槻文彦一人」の仕事
文部省編輯局長・西村茂樹は、序文の最後にこう書き残した——「本篇、編輯の事に任じたる者は、大槻文彦一人」。国家が命じた事業を、たった一人で背負いきった、という事実。そして、この仕事は、のちにどう引き継がれたか。
精読——「此書ハ日本普通語ノ辭書ナリ」——大槻文彦、自らの方針を語る
何を収め、何を収めないか。発音をどう区別し、品詞をどう示すか——大槻文彦は、『言海』の凡例「本書編纂ノ大意」で、当時まだ誰も体系立てていなかった設計方針を、自分の言葉で一つひとつ説明していく。原文で読む。
日本語を、日本語で説明する——あまりに当たり前で、気づかれない発明
「犬」という単語を、あなたならどう説明するだろうか。漢字を教えるのではなく、単語の意味そのものを、別のことばで言い換える——この当たり前に見える作業を、『言海』は日本語の辞書で初めて本格的にやってのけた。
「あ・い・う・え・お」順に並べる、というアイデア
今の辞書を引くとき、私たちは当たり前のように「あ行」から探す。しかし、この「当たり前」は、決して最初からあったわけではない。江戸時代までの語彙集は、まったく違う原理で並んでいた。
大槻文彦『言海』(1889–1891) を読む——日本に「近代的な国語辞典」がなかった時代
文部省に呼び出された一人の若い国学者が、「国語の辞書を作れ」とだけ命じられる。手本もなく、参考にできる先例もほとんどない。そこから14年、日本初の近代的国語辞典が生まれるまでの物語。
実際に何が起きたか——アンソニーと、221年越しの答え
言語の変化は、名もなき人々が、荷馬車に乗り、制度を結びながら進めた、現実の歴史だった。2007年、考古学者が示したのは、この系譜が221年かけて動いてきた振り子への、一つの答えである。系譜の最後の章。
進歩としての単純化——イェスペルセンの反転
シュライヒャーが「衰退」と呼んだ現象を、イェスペルセンは「進歩」として読み直す。子どもの言い間違いも、ピジン語も、人間の適応力の証拠として。振り子が、はっきりと「人間の営み」側へ動く章。
例外なき法則、そして人間への一歩——ブルークマン
「音法則は例外なく働く」——自然法則の側、もっとも強い言葉を掲げた同じ学者が、同時に「類推」という、きわめて人間的な力を認めた。一人の学者の中に、この系譜全体の振り子が、縮図として現れる章。
自然物としてのことば——ミュラーとシュライヒャー
同じ1861年、二人の学者が、それぞれ別の道から同じ結論にたどり着く——言語は、人間のわざではなく、自然のわざである。振り子が、もっとも大きく「自然法則」の側に振れる年。
法則と有機体——グリムとボップ
ラスクの方法は、グリムの手で表になり、ボップの手で比喩を得る。「対応」が「法則」と呼ばれ、言語が「有機体」にたとえられるまでの、11年間。
対応の発見——ジョーンズとラスク
偶然ではありえない、という直感。それを、確かな手続きに変えるまで。比較言語学が「問い」から「方法」へと変わる、最初の32年間。
「ことばはなぜ変わるのか」の系譜——地図をひらく
ジョーンズの一段落からアンソニーの考古学まで、これまで書いてきた九つの特集を、一本の問いで貫き直す。言語の変化は、自然の法則にしたがう「自然物」なのか、それとも人間が担う「歴史的ないとなみ」なのか。221年のあいだ、思想はこの軸の上を行き来してきた——その全体地図。
判定——『馬・車輪・言語』は、古代DNA革命を経て、どう見えるか
2007年、アンソニーは考古学の物証だけで、草原起源説を組み立てた。その8年後、まったく別の科学——古代DNA解析——が、まさにその通りの大移動を裏づける。歴史編、そしてこの言語学史シリーズ全体の、最後の判定。
系譜と論争——ジョーンズから続く問いを継ぎ、レンフルーに挑まれる
祖語の故郷は、草原なのか、それともアナトリアなのか。考古学者コリン・レンフルーは、まったく別の答えを提示していた。ジョーンズからブルークマンまで、この特集群が読んできた問いは、こうして現代の考古学的論争へと引き継がれる。
精読——「ヤムナ文化は爆発的に広がった」——祖語が分かれていった瞬間
紀元前3300年ごろ、草原地帯のある文化が、突如として広い範囲に拡大する。アンソニーは、その瞬間こそが、印欧祖語が枝分かれし始めた瞬間だったと考える。原文の英語で読む。
精読——「事実という杭に打ち付けられた物語」——アンソニーの方法論
祖語の話し手がどんな人々だったかを物語ることは、想像力さえあれば誰にでもできる。だからこそ危険だった。アンソニーが結びの章で述べる、その危うさへの自戒のことばを、原文の英語で読む。
「車輪」ということばが、死んだ言語の年代を教えてくれる
祖語には「車輪」「車軸」を表すことばがあった。ところが、車輪という道具そのものは、いつ発明されたかが、考古学的にかなり正確にわかっている。単語一つが、思いがけない年代測定の道具になる。
馬の歯が語る——「轡(くつわ)」の跡から、乗馬の起源を突き止める
5000年前、人類はいつ、どこで初めて馬に乗ったのか。文字記録はない。骨も曖昧な手がかりしか残さない。答えは、意外な場所にあった——馬の歯そのものである。
デイヴィッド・W・アンソニー『馬・車輪・言語』(2007) を読む——200年越しの問いに、考古学が答える
1786年、ジョーンズは一つの段落で「祖語」の存在を示した。それから221年後、一人の考古学者が、馬の歯と荷車の言葉から、その祖語が「どこで、いつ」話されていたかを突き止める。歴史編、最後の特集。
判定——ブルークマンの『比較文法要説』は、140年近くのちの言語学からどう見えるか
「例外には理由がある」という姿勢、そして「類推」という発見。この二つは、今も歴史言語学の土台であり続けている。だが「音法則は例外なく働く」という強い主張そのものは、シューハルトの反論以降、より慎重な形へと書き換えられていった。八つの特集をたどった、歴史編の締めくくり。
系譜と論争——ボップとシュライヒャーを継ぎ、シューハルトに挑まれる
『比較文法要説』が刊行されるちょうど1年前、ある学者が「音法則に抗して——青年文法学派に対抗して」と題する挑戦状を書いていた。ブルークマンの世代は、この特集で読んできたボップやシュライヒャーとどうつながり、そして同時代の誰と対立していたのか。
精読——「ボップとシュライヒャーの、ちょうど中間」——ブルークマンによる自己位置づけ
自分の本を、どう位置づけるか。ブルークマンは序文で、先人たちの名前を挙げながら、率直にそう語っている。シュライヒャーの『要覧』への評価と、自分の記述法の狙い。原文のドイツ語で読む。
精読——序文の脚注一つに刻まれた、青年文法学派の宣言
『比較文法要説』の序文、本文ではなくたった一つの脚注に、ブルークマンは自分たちの世代の姿勢をこう書き記した。「なぜか」の答えが見つかるまで、学問の課題は終わらない。原文のドイツ語で読む。
類推——子どもの言い間違いが、言語の歴史を書き換える
「行った」を真似て「食べった」と言う子ども。「見れる」「食べれる」という、ら抜き言葉。これは間違いなのか、それとも言語がもともと持っている力なのか——青年文法学派が音法則と並べて重視した、もう一つの変化の原動力。
「例外には、必ず理由がある」——青年文法学派が変えた、たった一つの姿勢
これまでの言語学者は、説明のつかない例外を「まあ、そういうものだ」で済ませてきた。ブルークマンの世代は、それを許さなかった。なぜか、を突き止めるまで、学問の仕事は終わらない——という宣言。
カール・ブルークマン『比較文法要説』(1886) を読む——例外を許さない世代の教科書
シュライヒャーの死から18年。若い世代の言語学者たちは、彼の教科書には満足しなかった。ボップの流れるような記述と、シュライヒャーの整然とした個別文法を統合しつつ、あらゆる例外に理由を求める——「青年文法学派」の代表作を読む。
判定——シュライヒャーの『比較文法要覧』は、二百年近くのちの視点からどう見えるか
星印(*)の記法は今も生きている。三段階の言語分類も、なお参照される。だが「言語は生きるが歴史を持たない」という断言、そして「発展のあとはひたすら衰退する」という史観は、20世紀に入って覆された。七つの特集をたどった、歴史編の締めくくり。
系譜——ボップから受け継ぎ、ダーウィンと交わり、イェスペルセンに否定される
「言語は有機体」という比喩を、ボップから受け継いで字義どおりに育てたシュライヒャー。1863年、彼はダーウィンの進化論を自ら言語学に接続する公開書簡を書く。そして半世紀後、イェスペルセンが彼の史観を正面から覆す。
精読——星印(*)の発明、あるいは「再建された祖語」をどう書き記すか
現代の比較言語学者が今も日常的に使う記号——星印(*)。それを最初に体系立てて使ったのは、他ならぬシュライヒャーだった。たった二行の脚注から、この記号の起源を読む。
精読——「言語は生きる、しかし歴史は持たない」の原文と、三段階の言語分類
『比較文法要覧』序論の脚注に記された、たった一文。そして、中国語・フィン語・セム語族を並べて言語を三段階に分類する、シュライヒャー独自の記号体系。原文のドイツ語で読む。
進歩ではなく、衰退——シュライヒャーの言語史観
言語は最初に完成形へと発展し、そのあとはひたすら崩れていく——シュライヒャーはそう考えた。この史観は、半世紀以上あとにイェスペルセンが真っ向から否定することになる。
言語は「生きている」、しかし「歴史」は持たない——シュライヒャーの不思議な断言
植物や動物のように、言語も「生きて」いる。だからこそ、人間のような「歴史」は持たない——シュライヒャーはそう言い切った。矛盾に聞こえるこの主張を、かみくだいて読む。
アウグスト・シュライヒャー『比較文法要覧』(1861) を読む——植物学者が言語学に持ち込んだ、もう一つの自然科学
ボップが「言語は有機体だ」と比喩で語ったところを、シュライヒャーは字義どおりに引き受けた。15年の講義録から生まれた、学生向けの一冊。ここから、比喩は科学的主張へと変わっていく。
検証——ボップの『比較文法』は、二百年後の言語学からどう見えるか
文法語尾が化石になった代名詞だ、という発見は、今も「文法化」という名前で言語学の中心にある。だが「言語は有機体」という比喩は、のちの世代の手で行き過ぎた。方法の実り豊かさと、比喩の危うさを、分けて採点する。
「グリムの見事な文法は、まだ知らなかった」——ボップが遺したもの、そして比喩の危うさ
ボップ自身が脚注に書き残した、グリムとのニアミス。「言語は有機体」という比喩は、比較言語学を大きく前進させた一方で、のちの世代の手で、もっと危うい方向にも育っていった。
-mi から -m へ——語尾がすり減っていく過程を、原文で追う
「私は与える」を意味する語尾には、実は二つの形がある——重いmiと、軽いm。この違いさえも、ボップは言語という有機体の年齢の差として説明してみせる。633ページの技術的な議論を読む。
「語根の謎には、手を触れない」——ボップ、1833年の序文を精読する
なぜ語根 I は「行く」を意味し、「立つ」を意味しないのか——ボップは、この問いにはあえて答えない。どこまでを説明の対象とし、どこで踏みとどまるか。1833年の序文が引いた、一本の線を読む。
「私は与える」の「私」はどこに消えたのか——ボップの発見を、やさしく
サンスクリット語で「私は与える」は dadāmi、たった一語ですむ。「私」はどこにいったのか——ボップは、動詞の語尾そのものが、かつての「私」だったことを突き止めた。
文法は、化石ではなく生き物だ——ボップの発想を、やさしく
ボップは、言語という対象を「有機体」にたとえた。この比喩は、たんなる詩的な言い回しではない。健康な体と、すり減った体という発想が、彼の比較の方法そのものを支えている。
フランツ・ボップ『比較文法』(1833/1856) を読む——サンスクリット語という「新大陸」を、文法の一部始終にまで広げた男
ラスクとグリムが子音の対応に照準を絞ったのに対し、ボップは動詞の活用から名詞の格変化まで、文法の隅々を8言語にわたって比較し尽くした。生涯をかけた大著を読む。
検証——ラスクの方法論は、二百年後の言語学からどう見えるか
「語彙より文法」という原則は、今も比較言語学の土台であり続けている。だがラスク自身が下した個別の判定——ケルト語は仲間ではない、という結論——は誤りだった。方法の正しさと、個々の結論の正しさを、分けて採点する。
なぜ「グリムの法則」で、「ラスクの法則」ではないのか
同じ発見に、先にたどり着いたのはラスクだった。それなのに、なぜ後世に名前が残ったのはグリムのほうだったのか。デンマーク語という言語の壁と、「体系化」の力を読む。
似ていても、油断するな——ラスクの比較の実践を読む
父を意味する πατήρ、pater、Vater、faðir。似ているからといって、すぐに祖先を同じくすると決めつけてはいけない——ラスクは、自分自身が挙げた実例にさえ、慎重な留保をつけていた。そして「まずグリーンランド語と比べる」という、意外な出発点を読む。
「語源学は、これまで気まぐれの遊び場だった」——ラスク、1818年の原文を精読する
デンマーク語で書かれた第1章の冒頭は、まず従来の語源学への痛烈な批判から始まる。そこから「文法が複雑な言語ほど古い」という具体的な目安まで、ラスクの論理を、原文とともに一段ずつたどる。
旅する言語学者——ラスムス・ラスクの短くも波乱に満ちた生涯
27歳で懸賞論文を書き上げたあと、ラスクはヨーロッパを飛び出し、ロシア・ペルシアを越えてインド、セイロンまで旅をした。書斎の学者ではなく、現地で言葉と写本を集め続けた研究者の、44年の生涯を追う。
語彙より文法を見よ——ラスクの方法論を、やさしく
二つの言語が似ているかどうかを、単語の響きだけで判断してはいけない——ラスクは1818年、この直観を明快な理由づけとともに言語学の方法として打ち立てた。専門用語なしで、その中身を追う。
ラスムス・ラスク『古ノルド語(アイスランド語)の起源に関する研究』(1818) を読む——グリムより4年早く、比較言語学の方法を打ち立てた男
デンマーク王立学術協会の懸賞論文として書かれた一冊。グリムの有名な表が世に出る4年前、ラスクはすでに「語彙より文法を見よ」という方法論を、みずからの言葉ではっきりと打ち立てていた。
検証——イェスペルセンの『言語』は、百年後の言語学からどう見えるか
子どもの言語獲得への先駆的な観察は、今も色あせない。だが「女性」の章は、明確に修正された。一冊の本のなかに同居していた先見性と偏見を、百年後の視点から採点する。
「女性」の章を読む——イェスペルセンが真顔で書いた、今なら通らない主張
「天才も、言語的無能も、女性にはめったに見られない」——1922年、コペンハーゲン大学教授は、これを学問的な結論として書いた。根拠にされた「男性のほうが変異が大きい」という当時の疑似科学と、そこから抜け出すのに社会言語学が要した歳月を読む。
ワンワン説、痛い説、チンドン説——言語起源論を、イェスペルセンが一刀両断する
犬の鳴き真似から言葉が生まれたという説、感嘆詞から生まれたという説、そして——ミュラー自身が唱え、のちに賢明にも撤回した説。歴代の言語起源論をイェスペルセンが手際よく裁いたあと、彼自身が示す意外な答えを読む。
ピジン語は、崩れた英語ではない——イェスペルセンのピジン語論を読む
白人が現地の人に向けた「赤ちゃん言葉」こそが、ピジン英語の乱れの原因の半分を占める——1922年の時点で、イェスペルセンはそう書いていた。植民地時代の思い込みに、あえて逆らった一章を読む。
子どもの言い間違いは、間違いではない——イェスペルセンの子ども観察を、やさしく
geese を gooses と言い、littler を「もっとも小さい」の意味で使う——子どもの文法の「間違い」は、実はでたらめではない。そこには、大人と同じ規則を、大人よりも忠実に適用する姿が見えてくる。
英語は退化していない、進歩している——イェスペルセンの挑発を、やさしく
古英語にあった格変化や性の区別を、現代英語はほとんど失った。これは「堕落」なのか? イェスペルセンは、川底で磨かれた石を例に、まったく逆の見方を示してみせる。
オットー・イェスペルセン『言語——その本質・発展・起源』(1922) を読む——比較言語学の百年を、一冊にまとめた男
デンマークの英語学者が、還暦を過ぎて書き上げた一冊の総合書。言語学の歴史、子どもの言語獲得、ピジン語、そして言語の起源まで——19世紀の比較言語学が積み上げてきた成果を、一人の手でまとめ上げた仕事を読む。
検証——ミュラーの講義は、百六十年後の言語学からどう見えるか
ユピテル=ゼウスの発見は今も堅実に残る。だが「言語学は自然科学だ」という挑発、語族の名づけと拡散、比較神話学、そして「アーリア人種」——それぞれの主張を一つずつ取り出し、現代の視点から採点する。
「アーリア人種」ではない——ミュラー自身が、生涯をかけて訂正しようとした誤解
ミュラーが言語の分類のために使った「アーリア」という語は、彼の意図を離れ、根拠のない人種の物語として一人歩きしていった。晩年のミュラーはこの誤用に繰り返し抗議し、はっきりと自分の言葉で否定している。その言葉と、取り返しのつかなかった被害の両方を読む。
神話は「言語の病」である——ミュラーの比較神話学
ゼウスもユピテルも、もとは「空の父」を意味する同じ一語だった——この鮮やかな発見から、ミュラーはさらに歩を進め、ギリシア神話のほとんどを「忘れられた比喩」の産物だと言い切った。当たった部分と、行き過ぎた部分の両方を読む。
孤立語・膠着語・屈折語——ミュラーの言語分類を精読する
中国語はまだ「幼い」段階の言語で、アーリア語族が最も進んだ段階だ——ミュラーは、世界の言語をそう並べてみせた。『言語学講義』第1シリーズ、第8講の原文を読み、この分類の仕組みと、そこに潜む前提を確認する。
「グリムの法則」と名づけ、広めたのはミュラーだった
グリムが1822年に示した表には、まだ名前がなかった。それに「グリムの法則」という名前を与え、英語圏の公衆に広めたのは、講演の1回をまるごと捧げたミュラーだった。しかもその中身を、グリムが使えなかったサンスクリット語のデータで、さらに磨き上げてもいる。
「言語学は自然科学だ」——ミュラーの挑発を、やさしく
言語は「神のわざ」か、それとも「人間のわざ」か。ミュラーは講演の冒頭で、あえて論争を呼ぶ立場を取った。専門用語なしで、この主張の中身と、それがなぜ物議をかもしたかを追う。
マックス・ミュラー『言語学講義』(1861/1863) を読む——言語学を、満員の講堂の見世物にした男
詩人の息子として生まれ、パリでサンスクリット語を学び、オックスフォードで『リグ・ヴェーダ』の校訂に生涯を捧げた学者。ロイヤル・インスティテューションでの一般向け講演録は版を重ねるベストセラーになり、「言語学」という分野そのものを、専門家の書斎から公衆の前に引きずり出した。
検証——グリムの法則は、二百年後の言語学からどう見えるか
「何が対応するか」はほぼ揺るがず確定している。だが「なぜそうなったか」は、実はいまも論争のただ中にある。1822年の表を、二百年のちの視点から採点する。
「思いつき」から「学問」へ——グリムの法則が言語学に残したもの
グリムの法則は、一つの子音の対応表にとどまらなかった。音の変化を「思いつきの類似」から「検証できる規則」に変えたこの発見は、比較言語学という学問の土台そのものになり、ソシュールが言語学を作り直す舞台さえ用意した。
father と brother、なぜ片方だけ「不規則」なのか——グリムの法則の例外と、それを解いた男
グリムの法則には、昔から知られた「例外」があった。father の子音はなぜか規則どおりにならない。この例外を、グリムの死から十年余りのち、デンマークの一言語学者が、まったく思いがけない場所から解いてみせる。
584ページの表を読む——グリム『ドイツ語文法』第2版・原文精読
「二重の音韻推移」とグリムが呼んだものは、実は二段階の別々の変化のことだった。ギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語という三つの言語を並べた表を、原文のドイツ語とともに一行ずつ読み解く。
メルヒェン集めと文法研究は、なぜ同じ人の仕事だったのか——グリム兄弟ともう一つの顔
グリム兄弟といえば『赤ずきん』や『白雪姫』。だが同じ兄弟が、生涯をかけて一冊の巨大な辞書に取り組み、王への抗議で職を失ってもいる。メルヒェン・文法・辞書・政治——一見バラバラな仕事の裏にある、一つの筋を追う。
グリムの法則を、やさしく——father と pater は、なぜ似ていないのに「同じ単語」なのか
英語の father とラテン語の pater。見た目はまるで違うのに、この二つは同じ祖先を持つ「同じ単語」だとされる。専門用語なしで、グリムの法則の中身を、身近な単語だけで追う。
ヤーコプ・グリム『ドイツ語文法』第1部・第2版 (1822) を読む——メルヒェンを集めた学者が、言語に「法則」を見つけるまで
メルヒェン集めで知られる兄弟の兄は、法律を学んだのちに文献学者になった。改訂版だけで590ページを超える大著の、ある1ページに書き込まれた一つの表が、のちに「グリムの法則」と呼ばれることになる。1822年の『ドイツ語文法』第1部・第2版を読む。
検証——ジョーンズの言語の予測は、どうなったか
サンスクリット・ギリシア語・ラテン語だけでなく、ゴート語、ケルト語、古代ペルシア語、そして中国語とチベット語。ジョーンズが語族について示した予測を一つずつ取り出し、二百年以上のちの言語学がそれぞれにどんな判定を下したかを読む。
神々の比較——同じ手つきが、どこまで届き、どこで行き過ぎたか
ジョーンズは、言語の比較で使った同じ論理を、神話と哲学にも広げた。ギリシアの神々とヒンドゥーの神々の対応、プラトンとヴェーダーンタの近さ——そしてオーディンと仏陀を同一視する、明らかな行き過ぎ。一つの講演の中の、光と影を読む。
ジョーンズの発見を、トピックごとに
なぜ判事が言語学を変えたのか。講演の四本柱から、行き過ぎた神話の比較、そして後継者たちの仕事まで。第三回記念講演の中身を、一項目ずつ短く読む。
反響と系譜——直観から、法則へ
ジョーンズの一段落は、それ自体では一つの学問にならなかった。「偶然ではない」という直観を、実際にどの音がどの音に対応するかという規則にまで鍛え上げたのは、彼の死後、ヨーロッパで育った次の世代だった。ボップ、ラスク、そしてグリムへ続く道を読む。
「偶然」でも「借用」でもなく——ジョーンズの比較の論理
似ている理由は三つある——偶然、借用、そして共通の祖先。ジョーンズはどうやって前の二つを退け、三つ目にたどり着いたのか。征服と言語というもう一つの類推、そして文字にまで及んだ同じ論理を読む。
ジョーンズの発見を、やさしく言うと
サンスクリット語とギリシア語・ラテン語が似ているのは、たまたまではない——そこから「言語にも家系図がある」という発想が生まれた。専門用語なしで、その道すじを追ってみる。
ウィリアム・ジョーンズ『第三回記念講演』(1786) を読む——一つの段落が、言語学という学問を生んだ
カルカッタの最高裁判事が、アジア協会の年次講演でふと漏らした一段落。サンスクリット語とギリシア語・ラテン語の「偶然ではありえない」類似を指摘したこの一節が、のちに比較言語学・インド・ヨーロッパ語族という発想全体の出発点になった。1786年2月2日の講演を、原文とともに読む。
像から使用へ、そして行為へ——ウィトゲンシュタイン、チョムスキー、オースティン
一人の哲学者が、生涯のうちに「言語は世界を写す像だ」から「意味とは使用だ」へと転向する。その転向のあと、20世紀後半の言語をめぐる思想は、構造の側と活動の側、二つの道へはっきりと分かれる。系譜の最後の章。
本能でも人種でもない——サピアと複数の世界観
フンボルトの「言語は世界観」というテーゼを受け継ぎながら、その世界観に優劣をつけた部分だけは切り捨てる。ソシュールが体系の内側に沈んでいくのに対し、サピアは言語を文化・歴史・人種のただなかへ押し戻す。
差異の体系へ——ソシュールと言語学の自立
フンボルトが「言語は働きだ」と言った半世紀後、スイスの言語学者は「働き」を研究の外に締め出す。だが彼が取り戻した体系は、アリストテレスの体系とは似ていない——そこには、名づけを待つ「もの」がそもそも存在しない。
言語は「働き」である——フンボルトの転回
アリストテレスは、記号の奥にある概念は万人に共通だと考えた。ポール・ロワイヤルは、その共通の心から文法という「作品」を導こうとした。19世紀プロイセンの外交官は、両方の前提をひっくり返す——言語に完成品はなく、概念そのものが言語ごとに違う、と。
文法は心を写す——ポール・ロワイヤルの賭け
アリストテレスは、主語と述語を結ぶ「である」に、真偽の宿る場所を見た。17世紀パリ郊外の修道院で書かれた小さな文法書は、その「である」を、判断するという心の働きそのものの現れだと読み直し、そこから品詞のすべてを導こうとする。
問いの誕生——プラトンとアリストテレス
師は「名前は自然か取り決めか」を未決のまま閉じ、名前を「ものを分ける道具」と呼んだ。弟子は道具モデルを退け、取り決めを公理として引き取り、そのかわり問いの単位を「名前」から「文」へずらす。西洋の言語哲学は、この師弟の対話から始まった。
「言語とは何か」の系譜——地図をひらく
プラトンからオースティンまで、これまで書いてきた九つの特集を、一本の問いで貫き直す。言語は「もの」か「働き」か。「自然」か「取り決め」か。二千三百年のあいだ、思想はこの軸の上を行き来してきた——その全体地図。
判定・権能行使・約束・態度表明・言明——発語内行為を分類する、最後の試み
「あまり気に入ってはいない、いくぶん感じの悪い名前」——オースティン自身がそう認めながら示した、発語内行為の五つの類。『言語と行為』最終講を、本人の率直な迷いごと読む。
発語行為・発語内行為・発語媒介行為——「言う」の中の三つの層
「議論する」とは言えても「説得する」とは言えない——この小さな違いが、二つの行為を隔てる目印になる。ウォルト・ホイットマンへの脱線もまじえて、『言語と行為』第8〜10講の一般理論を読む。
適切性条件——遂行文は、こうして「空振り」し、こうして「濫用」される
結婚式で誓っても、資格がなければ結婚は成立しない。「約束します」と言っても、守る気がなければ空々しい。オースティンが立てた六つの規則——A・B・Γ——を、原文の言葉で読む。
遂行文と事実確認文——「言うこと」と「すること」のあいだで、線はどこに引けるか
「操作的」ではなく、なぜ「遂行的」という新しい語を選んだのか。ことばなしでも結婚や賭けはできるのに、なぜ「言うことがそうすることになる」と言えるのか。『言語と行為』第2〜5講を読む。
『言語と行為』の6つの発見を、一つずつ
「誓います」から「発語内行為」まで。『言語と行為』が積み上げた議論を、一項目ずつ、短い例とともに読む。
『言語と行為』を、やさしく言うと
「誓います」と言うことは、結婚についての説明ではない。結婚することそのものだ——オースティンの本が見つけた、ちょっと不思議な文のなかまを、専門用語なしで追ってみる。
オースティン『言語と行為』(1962) を読む——「言うこと」は「すること」である
1960年に世を去った哲学者が遺したハーヴァード講義ノートから、死後に一冊の本が編まれた。「本当か偽か」でしか文を見てこなかった哲学に対し、オースティンは「結婚式で誓う」「船に名づける」「賭ける」——ことばを発することがそのまま行為になる文があると指摘する。遂行文の発見から、適切性条件、そして発語内行為という一般理論まで、その全体像を読む。
「狩人たちの射撃」は二通りに読める——構造のあいまいさと、統語論の自律性
同じ見た目の文が、なぜ二通りに理解されるのか。そして、文法は本当に「意味」に頼らずに組み立てられるのか。『統辞構造論』第8〜9章を読む。
否定・疑問・do——一つの分析がすべてを説明する
「did they arrive」の do は、どこから来るのか。「who ate an apple」に倒置がないのはなぜか。『統辞構造論』第7章の変形規則を、実際の導出をたどって読む。
句構造文法の限界——なぜ「受動文」は書き換え規則で書けないのか
「箱の中の箱」で文を分析する句構造文法は、有限状態モデルより強い。だが等位接続・不連続な助動詞・受動文という三つの現象が、その限界をあらわにする。『統辞構造論』第4〜5章を読む。
「無色の緑の観念が猛烈に眠る」——文法は意味でも確率でもない
文を一歩ずつ単語から単語へつなぐ「予想する機械」は、なぜ英語を生成できないのか。『統辞構造論』第2〜3章を、具体的な文の入れ子とともに読む。
『統辞構造論』の9つのアイデアを、一つずつ
「文とは何か」から「理論の目標とは何か」まで。『統辞構造論』が積み上げた議論を、一項目ずつ、短い例とともに読む。
『統辞構造論』を、やさしく言うと
「無色の緑の観念が猛烈に眠る」は変な文だけど、文法的には正しい。なぜそう感じるのか——チョムスキーの小さな本が立てた問いを、専門用語なしで追ってみる。
チョムスキー『統辞構造論』(1957) を読む——文法は、意味から独立している
MITの若い教師が、90ページほどの薄い本で言語学の風景を変えた。「文法的な文」を定義するのに、意味も、確率も、頼りにならない——ではどうするのか。有限状態モデルを退け、句構造モデルの限界を示し、「変形」という第三のモデルへ。「無色の緑の観念が猛烈に眠る」という一文とともに、その全体像を読む。
関係代名詞と「隠れた文」——一つの語に、いくつの判断が畳み込まれているか
ラテン語の quorum、フランス語の que、ギリシア語の ὅτι——形はまるで違うのに、同じ一つの原理で説明できる。関係代名詞は「代名詞」と「接続詞」という二つの役割を同時に、あるいは片方だけを担う。ラテン語・ヘブライ語・ギリシア語の実例を手がかりに、『一般理性文法』第2部・第9章「続き」から読む。
動詞の解剖——人称と数、時制、そして「われ思う、ゆえに我あり」の動詞
「私は見る」の「私」はどこへ消えたのか。動詞の語尾に人称と数が畳み込まれるしくみ、三つの単純時制と三つの複合時制の作り方、そして『方法序説』の一節を材料に、動詞そのものが「存在」を意味することもあるという発見を、『一般理性文法』第2部・第14〜15章、第18章から読む。
実体詞と形容詞——「白い」は何を、どう意味しているか
「白い」は「白さ」を意味している。だが、ただ意味しているのではない——はっきりと意味しながら、同時にぼんやりと「何か」を指してもいる。アルノーが「コノテーション」と呼んだこの二重の意味作用を、『一般理性文法』第2部・第2章から読む。
アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(後半):動詞は「言い切る」ことば、そして文の中に隠れた文
「ピエールは生きる」は、なぜ動詞一つでできているのか。「見えない神が見える世界を創った」——この一文には、実はいくつの文が隠れているのか。『一般理性文法』でいちばん有名な二つの発見を、やさしい言葉でたどる。
アルノー & ランスロ『一般理性文法』をやさしく読む(前半):頭の中をのぞくと、文法が見えてくる
文法の本なのに、最初のページは「話すとは何か」から始まる。頭の中で起きている「思う」と「決めつける」の違い、そして「地は丸い」という一文がなぜ三つの部品でできているのか——『一般理性文法』の前半を、やさしい言葉でたどる。
アルノー & ランスロ『一般理性文法』(1660) を読む——言語のかたちは心のかたちを写す、という賭け
パリ郊外の修道院ポール・ロワイヤルで、神学者アルノーと文法教師ランスロが書いた小さな本。個別言語の慣用を並べるのではなく、あらゆる言語の背後にある「一つの理性的な文法」を、心の働きから導こうとした。品詞も、動詞の本質も、隠れた文も——すべては「概念する・判断する」という心の作用の写しである。フランス語原文とやさしい図で、その全体像を。
明日、海戦は起こるか——未来の偶然と決定論
「明日、海戦が起こる」という文は、いますでに真か偽か。もしそうなら、明日のことはすべて必然で起こり、思案も準備も無意味になる。『命題論』第9章、論理学史でもっとも議論された一章。アリストテレスの答えは——選言の全体は必然、どちらの項もまだ未定。
肯定と否定、全称と特称——「対立の四角形」の起源
「すべての人間は賢い」と「どの人間も賢くない」は、同時には真になれないが、同時に偽にはなれる。「すべての人間は賢い」と「賢くない人間がいる」は、必ず一方が真で一方が偽。アリストテレスが第7章で整理したこの関係が、中世論理学の「対立の四角形」になった——そして現代論理学ではその一部が崩れる。
真偽が宿るのは「主張文」だけ——祈りは論理学の外
「雨が降っている」は真か偽になる。「雨が降りますように」はどちらでもない。アリストテレスは、文のうち真偽をもつもの——主張文(アポファンティコス)——だけを論理学の対象とし、祈り・命令・問いを修辞学と詩学へ送り出す。「命題」という単位が、ここで生まれる。
名詞と動詞——動詞は「時」をいっしょに示す
「健康」は名詞、「健康である」は動詞。違いは何か。アリストテレスによれば、動詞は意味に加えて「いま在ること」——時——をいっしょに示し、つねに「何かについて言われるもの」の記号である。文を組み立てる二つの部品と、両者を結ぶ「=である」の謎を、原文から。
「取り決めによる」——アリストテレスがクラテュロスに与えた答え
名詞の定義に、アリストテレスは一語を差し込む——「取り決めによって」。自然によって在る名前は一つもない。けものの鳴き声は自然に何かを表わすが、名前ではない。プラトンが保留した二択に、弟子はノモスの側で決着をつけた。それが2000年の主流になる。
アリストテレス『命題論』を読む——ことばは「取り決めによる記号」、真偽が宿るのは文だけ
プラトンが未決のまま残した「名前は自然か取り決めか」に、弟子アリストテレスは短く答えを出す——ことばは取り決めによる記号だ。そして真偽は語ではなく、語を組み合わせた「主張文」にだけ宿る。『オルガノン』第2書、14章の緻密なエッセイを、ギリシア語原文とやさしい図で。
名前からは真理を学べない——『クラテュロス』の結末とイデア論
音のまねだけでは名前は成り立たない、と認めたソクラテスは、取り決めを議論に戻す。そして自然説の核心を突く——最初の名づけ手には、手本にする名前がまだ無かった。ならば知は名前の手前にある。対話は、変わらぬ「美そのもの」へと踏み出して閉じる。
名前は「声によるまね」——ρ は運動、λ はなめらかさ
それ以上分解できない「一次の名」は、どうやって対象を表すのか。ソクラテスの答えは、声によるまね(ミメーシス)。ρ は舌がふるえるから運動を、λ は舌がすべるからなめらかさを表す——西洋で最初の音象徴論であり、2300年後にソシュールが名指しで否定する相手でもある。
語源の奔流——名前は理論を宿す(そしてそれは冗談か)
対話の半分以上を占める中央部で、ソクラテスは神・徳・自然物の名を140ほど語源分解してみせる。そのほとんどが「流れ」「運動」を含む。最初の名づけ手たちは、万物流転というヘラクレイトス的な世界観を名前に埋め込んだ——冗談とも本気ともつかぬ、この長い実演をどう読むか。
名前は「道具」である——梭(ひ)と、名前をつくる立法者
織機の梭が糸を分けるように、名前はものの在りかたを分けて教える道具だ。ではその道具を作るのは誰か——「職人のなかで最も稀な」立法者。そして、できた名前を使い、良し悪しを判定するのは弁証家である。
フュシスかノモスか——名前の「正しさ」をめぐる二つの立場
ヘルモゲネスは言う——どう呼ぼうと、そう呼べば正しい。ソクラテスはこれを崩す。ものには勝手に決められない在りかたがあり、「名づける」もまた正しさのある行為だ、と。ただしそれは、クラテュロスの自然説をそのまま認めることではない。5世紀の「自然か掟か」論争を、言語に当てはめた対話。
プラトン『クラテュロス』を読む——名前は「自然」か「取り決め」か、西洋で最初の言語哲学
ものの名は、自然にそう決まっているのか(フュシス)。それともただの取り決めか(ノモス)。紀元前4世紀、プラトンはこの問いだけで一篇の対話篇を書いた。西洋で最初の、まとまった言語哲学。ソクラテスと二人の論客のやりとりを、ギリシア語原文とやさしい図で。
言語類型と「序列」の問題——フンボルトからサピアへ
孤立語・膠着語・屈折語・抱合語。言語を構造で分けるこの見取り図はフンボルトに始まる。だが彼は屈折語を頂点に置いた。その序列を、20世紀のサピアがどう解体したか。
思考を形づくる器官、対話に宿ることば
語は対象の写しではなく、対象が心に産んだ「像」の写しである。そして言語は、一人では成り立たない——「私」は「君」を含んでいる。フンボルトの、言語と思考、言語と他者の話。
有限の手段の無限の使用——生成文法の源流
限られた音・語・規則から、話し手は一度も言われたことのない文を無限に作る。1966年、チョムスキーはフンボルトのこの一句を掲げて「言語の創造的側面」を語った。何が受け継がれ、何が落とされたか。
世界観——言語は民族のまわりに円を描く
「どの言語も、それが属する民族のまわりに一つの円を描く」。だがフンボルトは、その円は牢獄ではない、外国語を学ぶとは新しい立脚点を得ることだ、とも書いた。言語相対論の源流を、原文から。
内的言語形式——言語の「かたち」は音でも規則でもない
サンスクリットで象は「二度飲む者」「二本の牙のもの」「手を持つもの」。同じ対象なのに、別々の概念だ。言語は対象そのものではなく、対象の捉え方を表す——フンボルトの「形式」を、原文から。
エネルゲイア——言語は「物」ではなく「働き」である
辞書に載っているのは言語ではない。フンボルトによれば、言語の本体は「精神の、永遠に繰り返される労働」——話すという行為そのものだ。『多様性』のいちばん有名な一節を、ドイツ語原文から。
フンボルト『言語構造の多様性について』(1836) を読む——言語は「作品」ではなく「活動」である
ソシュールより80年、サピアより85年早く、一般言語学はここから始まった。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが死の直前まで書き、遺著として出た大著。エネルゲイア、内的言語形式、世界観、「有限の手段の無限の使用」——本の骨格を、ドイツ語原文とやさしい図で。
規則に従うこと、そして私的言語
「+2」で数列を続ける。どんな続け方も、解釈しだいで規則に「合致」させられる。では規則を支えているのは何か。『哲学探究』後半の難所を、ドイツ語原文から。
家族的類似——「考えるな、見よ」
「ゲーム」に共通する本質は何か。ウィトゲンシュタインは答えず、命じる——見よ、と。すべてを貫く一本の糸はなく、重なり合う繊維があるだけだ。カテゴリー観を変えた『探究』§65〜71。
言語ゲームと「意味とは使用である」
「石板!」は名前なのか、命令なのか。建築現場のことばから始めて、ウィトゲンシュタインは「語は物の名だ」という素朴な像を崩す。『哲学探究』前半を、ドイツ語原文から。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」——言語の限界
20世紀哲学でもっとも引かれる一文、『論考』命題7。だがそれは神秘趣味ではなく、像の理論から出てくる結論だ。何が語れ、何が「示される」だけなのか。
像の理論——「命題は現実の像である」
パリの法廷で、交通事故を人形とおもちゃの車で再現する。ウィトゲンシュタインはそこに命題の秘密を見た。模型が事故を語れるのはなぜか。『論理哲学論考』の前半を、ドイツ語原文から。
ウィトゲンシュタインと言語——「像」から「言語ゲーム」へ
生涯に一冊しか本を出さなかった哲学者が、その一冊を自分で壊した。前期『論理哲学論考』の「像の理論」と、後期『哲学探究』の「意味とは使用である」。言語をめぐる二つの思想を、ドイツ語原文とやさしい図で。
価値と差異——「言語には差異しかない」
フランス語の mouton は英語の sheep と同じ意味を持ちうるが、同じ価値は持たない。英語には mutton があるからだ。ソシュール『講義』でいちばん過激な一章を、原文から。
共時態と通時態——言語を「今」で見るか、「流れ」で見るか
チェスの一局面は、そこに至った経緯から自由だ。ソシュールは言語を二つの軸に分けた。同じ「分裂」に対するもう一つの答え、サピアの「ドリフト」と並べて読む。
記号の恣意性——なぜ「木」は tree でも Baum でもよいのか
「妹」という観念と s—ö—r という音のあいだに、内的なつながりは何もない。ソシュール『一般言語学講義』の第一原理を、原文(1916年フランス語)を引きながら。
言語と文学——翻訳できるもの、できないもの(サピア第11章)
「ハイネを読むと、宇宙がドイツ語を話しているような錯覚に陥る」。文学は言語という素材でできている。翻訳できる層とできない層、そして韻律が言語の力学から生まれること——サピア『言語』の最終章。
音のパターンから音素へ——サピア第3章と、その後の音韻論
英語話者の百人に一人も、sting の t と teem の t が別の音だと気づかない。客観的な音の背後に「心のなかの音の体系」がある——サピアの洞察が、どうやって「音素」になったか。
言語・人種・文化は別物——サピアの分離論
「民族の天才が言語を作る」は迷信である。人種・言語・文化は互いに独立した変数だ——師ボアズの人類学を言語の側から徹底した、『言語』第9〜10章。
サピアの「ドリフト」——言語は時間の流れを下り、自分の勾配を持つ
「whom」はあと二世紀で消える、とサピアは予言した。個人のゆらぎではなく、方向を持って積み重なる無意識の選択——それがドリフト。『言語』第7〜8章を一点集中で読む。
サピア『言語』をやさしく読む(後半):かたち、意味、そして言語に優劣はない
語はどんな方法で組み立てられるのか。「農夫がアヒルの子を殺す」の一文に何種類の意味がひそむのか。そして、言語を「孤立語→屈折語」と並べる梯子はなぜ捨てるべきなのか——サピアの第4〜6章。
サピア『言語』をやさしく読む(前半):ことばは本能か、音とは何か
歩くことと話すことはどう違うのか。叫び声はことばになるのか。富士山とサント・ヴィクトワール山を並べて、サピアの第1〜3章——言語の定義、発音器官という誤解、音の背後にあるパターン——をたどる。
エドワード・サピア『言語』(1921) を読む——ことばは本能でも人種でもない
ソシュールの『講義』から5年、人類学者サピアが書いた一般言語学の入門書。言語は本能ではなく文化、その本質は音ではなくパターン、そして言語は自分でドリフトする——本の要点を、原文の引用とやさしい図で。
川端康成『雪国』の冒頭で学ぶ、日本語の基礎
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」——主語のない一文から始まる四段落を、主語の省略・は/が・主要部後置・「〜ていた」・視点の移動という日本語の基礎に照らしてほどく。
森鷗外『阿部一族』の第一文で学ぶ、日本語の長い文
百五十字を超える一文なのに、骨格は「細川忠利は——飛脚が立つ」。助詞、連体修飾、接続表現、述語の連鎖を手がかりに、鷗外の長い文をほどく。
森鴎外「言語の起原」附記を読む——ことばの起源をめぐる十九世紀の論争
泣き声はことばになるか。鴎外が1889年に日本語へ移した、間投説(プープー)・擬声説(バウワウ)・ママ説。ヘルダー、グリム、マックス・ミュラーの議論を、原文を引きながらほどく。
夏目漱石『こころ』の第一文で学ぶ、日本語の文章
「私はその人を常に先生と呼んでいた。」——二十三モーラ、一文一述語。名を伏せる技法、述語直前の焦点、「〜ていた」の三重の働き、である体。文豪から学ぶ日本語の文章、第二回。
langage・langue・parole——ソシュールが「ことば」を三つに分けた理由
『一般言語学講義』でいちばん有名な区別を、原典からの引用とやさしい例で。ことばの回路、「1+1+…=1」、交響曲のたとえ。
三島『潮騒』の三文で学ぶ、日本語の基礎文法
同じ三文を、今度は「日本語の文はどう組み立てられているか」を一から。述語は最後、助詞は語のうしろに貼る札、説明は名詞の前——英語と比べながら。
三島由紀夫『潮騒』の冒頭で読む、日本語の叙述
人物ではなく土地から始まる三行を解剖すると、主要部後置、は/が の交替、名詞述語文——日本語の叙述の骨組みがそのまま見えてくる。
『一般言語学講義』をやさしく読む(後半):体系はどう働き、どう変わるか
ことばの意味は「まわりとの差」で決まる。共時態と通時態、価値=差異、統合的関係と連合的関係、そして音変化・類推・波を、身近な例で。
『一般言語学講義』をやさしく読む(前半):言語とは何か、記号とは何か
「ことば=物の名札」ではない。ソシュールが引いた langue / parole の線と、記号=概念+音という考え方を、身近な例でゆっくり。
ソシュール『一般言語学講義』の概要
langue と parole、記号の恣意性、共時態と通時態、差異による価値——20世紀の言語観を変えた講義録の全体像。
ソシュールと、言語学の誕生
『一般言語学講義』の背景と、その冒頭で語られる「言語学史概観」を読む。
言葉とは?
言語は私たちの内側にありながら、他者からやってくる。自己と他者を結ぶ、その不可思議なネットワークを考える。