やさしい解説の記事で見た、万葉仮名の二つのグループへの書き分け。この発見は、いったい、どのようにして見つかったのか。橋本進吉の講演記録『古代国語の音韻に就いて』(1942) を読むと、それは、一人の天才のひらめきではなく、三人の人物のあいだで、少しずつ受け渡されてきた発見だったことがわかる。

この本は、表紙に「橋本進吉述」とあるとおり、講演を記録した冊子で、文体は「です・ます」調である。専門書というより、聴衆に語りかける口ぶりで、発見の筋道が順を追って語られている。

第一の人物——本居宣長の観察

橋本は、まず、江戸時代の国学者・本居宣長(1730–1801)の観察から語り始める。宣長は、『古事記』を読むなかで、ある種の語について、仮名の使い方に決まりがあることに気づいていた。橋本は、それを、こう説明する。

子の「こ」には「古」を當てる、女の「め」には「賣」を當てる

(この部分は、橋本が宣長の観察の例として挙げた、二つの語の書き方である。)

「子」の「こ」は「古」の字で書き、「女」の「め」は「賣」の字で書く。宣長は、『古事記』のなかの特別な語について、こうした、字の当て方の決まりを見つけていた。ただし、それは特定の語にかぎった観察だった。

第二の人物——石塚龍麿の、意外な発見

宣長の弟子の一人に、遠江の国学者・石塚龍麿がいた。橋本は、この龍麿が、宣長の観察を、特定の語から、当時の書物全体へと広げたと述べる。

龍麿は「古事記」のみならず廣く其の當時の典籍に就いて行つた結果として、實に意外なことが見付かつたのであります。

(龍麿は、『古事記』だけでなく、当時の書物に広く当たって調べた結果、実に意外なことを見つけたのです。)

その結果を、龍麿がまとめたのが、『仮名遣奥山路』という書物である。橋本の説明によれば、この本は、写本で伝わるばかりで、世間にはあまり出回っていなかった。それを、昭和4年(1929年)に『日本古典全集』のなかで刊行したのだが、その底本は、橋本自身が写しておいた本だったのだという。橋本は、江戸の学者が残した埋もれた原稿を、自分の手で書き写し、世に出した人物でもあった。

第三の段階——橋本自身の整理と、驚き

龍麿が見つけた「意外なこと」を、橋本は、万葉仮名の全体について、確かめ直した。その核心を、橋本は、こう語る。

同じ「こ」の假名であると思つてゐた多くの萬葉假名が、斯ういふ風に二つに分れて居るといふことは、實に思ひがけないことであります。

(同じ「こ」の仮名だと思っていた多くの万葉仮名が、こういうふうに二つに分かれているということは、まったく思いがけないことです。)

この一文に、橋本の、発見に対する驚きが、そのまま表れている。「こ」と読む万葉仮名が、実はいくつもある。それらは、みな同じ「こ」を表すのだから、どれを使っても同じだろう——そう思っていたのに、調べると、二つのグループに、きれいに分かれていた、というのである。

「決して混ざらない」という証拠

では、その二つのグループは、本当に厳密に分かれているのか。橋本は、こう述べる。

同じ類に屬する萬葉假名はどれも同樣に用ゐられるが、違つた種類に屬するものは決して同じには用ゐられないのであります。

(同じ類に属する万葉仮名は、どれも同じように用いられるが、違う種類に属するものは、決して同じようには用いられないのです。)

ここが、この発見の、最も重要な点である。同じグループの仮名どうしは、互いに置き換えられるが、違うグループの仮名は、決して置き換えられない。もし、これが、単なる書き手の癖や気まぐれだったなら、二つのグループの仮名が、時々は混ざるはずである。ところが、混ざらない。この徹底ぶりが、二つのグループの背後に、はっきりした区別があることの証拠になる。

「音が違っていた」という解釈

では、その区別とは何か。橋本は、講演の終わりのほうで、その解釈を、こう述べる。

實際は、古代に互に違つた二つの音があつた。

(実際は、古代に、互いに違う二つの音があったのである。)

万葉仮名の使い分けは、書き癖ではなく、発音の違いを映したものだ、というのが、橋本の解釈である。後世の私たちの耳には同じ「き」に聞こえるが、古代の人々の耳には、二つの違う音として聞こえていた、ということになる。

音の中身は、決めつけない

しかし、橋本は、その二つの音の実際の姿については、慎重な態度をとる。同じ講演のなかで、橋本は、それらの音が、実際にはどんな音だったのかについて、いくつもの説が出ていることを紹介し、自分も研究中だが、まだ決定的なことは言えない、と述べている。そのうえで、橋本は、それらの音がどういう場合にあらわれるかを、まず調べることが大切だ、という立場をとる。実際、橋本は、この講演の後半で、動詞の活用の種類ごとに、どの系統の仮名が使われるかを整理している(やさしい解説の記事で紹介した、書く・起くの連用形の違いは、その一例である)。

これが、橋本の方法の、際立った特徴である。音の正体を、先に推測してしまうのではなく、まず、文字の使い分けという、確かめられる事実を、徹底的に整理する。音の正体をめぐる議論は、その整理を土台にして、後から積み重ねられていった。

本居宣長 特定の語の 仮名の決まりに気づく 石塚龍麿 当時の書物に広く当たり 『仮名遣奥山路』にまとめる 橋本進吉 写本を世に出し、 全体を確かめて整理する 一人の発見ではなく、三人のあいだで受け渡された発見
発見が受け渡されていった順序。図:ToL

まとめ

論点内容
発見の順序宣長が特定の語の決まりに気づく → 龍麿が当時の書物全体に広げ、『仮名遣奥山路』にまとめる → 橋本が全体を確かめ、整理する
橋本の貢献龍麿の写本を自ら書き写して世に出し、万葉仮名の全体について、二つのグループが決して混ざらないことを示した
証拠の力「同じ類は同様に用いられるが、違う類は決して同じには用いられない」という徹底した書き分け
解釈と慎重さ「古代に互いに違う二つの音があった」と解釈するが、その音の実際の姿は決めつけない

一言でいえば——橋本進吉は、宣長と龍麿から受け継いだ観察を、徹底的に確かめ直した。そして、「實に思ひがけない」と自ら驚いたその事実を、音の正体を決めつける前に、まず、文字の使い分けの事実として、堅く固めた。