この特集は、概説記事から始まり、文節と上代特殊仮名遣の二つの発見を紹介し、それぞれの原文を読み、後世への影響をたどってきた。最後に、これらを、現在の視点から採点する。

動かない前提——上代特殊仮名遣

まず、上代特殊仮名遣の発見は、今日の古代日本語研究で、動かない前提として受け入れられている。奈良時代の文献で、万葉仮名が、二つのグループに厳密に書き分けられているという事実は、原文精読の記事で見た、橋本が確かめ直した、まさにその通りの事実として、その後の研究で繰り返し確認されている。古代の日本語の音を再建しようとする研究では、この区別は、出発点の一つとして、当然のように使われる。橋本の慎重な態度——「音の正体は、まだ決めつけない」——は、その後の研究の進め方としても、正しかったと言える。

まだ決着していないこと——二つの音の実際の姿

ただし、その二つの音が、実際にはどんな音だったのかという問いには、現在も、複数の説が併存している。橋本自身が、原文精読の記事で見たとおり、「決定的なことは言えない」と述べていた問題である。後の世代は、これを母音の違いと見る八母音説を有力な仮説として発展させたが、それが唯一の答えだと見なされているわけではない。「甲類」「乙類」という名前は、橋本がつけた、便宜上の区別のラベルにすぎず、その音の中身を示す名前ではない。この点は、橋本の時代から、今日まで、変わっていない。

便利な道具、だが万能ではない——文節

一方、文節の評価は、もう少し複雑である。教室で日本語を教えるための道具としては、文節は、今日でも欠かせない。「ね」を入れて区切るという、耳で試せる方法が、文の構造を初学者に見せるのに向いていたことは、やさしい解説の記事で見たとおりである。

しかし、研究の現場では、事情が違う。文節は、あくまで発音の切れ目を基準にした、一つの区切り方であり、日本語の文の構造を説明するうえで、いつも最適な単位だとは限らない。語、句、節といった、他の単位が使い分けられることも多い。「咲いていた」のような形を、「咲いて」と「いた」に分けるかどうか、といった細かい点では、学校文法の約束と、言語学の分析が、必ずしも一致しない。

動かない前提 上代特殊仮名遣——万葉仮名が二つのグループに書き分けられているという事実 道具として残る 文節——教室で日本語を教えるための、耳で確かめられる区切り方 まだ決着していない 二つの音の実際の姿(八母音説を含め、複数の説が併存)
橋本進吉の二つの発見の、現在の評価。図:ToL

一人の学者の、二つの評価

同じ橋本進吉の二つの仕事が、これほど違う評価を受けているのは、興味深い。上代特殊仮名遣は、過去の言語という「一度きりの事実」を明らかにした発見であり、一度正しく確かめられれば、その後は、覆されにくい。それに対して、文節は、現在の言語を「どう区切って説明するか」という、説明の枠組みであり、その枠組みが、どこまで役に立つかは、目的によって変わってくる。

この違いは、山田孝雄の特集の判定記事で見た、「発見の価値と、それを説明する理論の耐久性は、別々に評価されるべきだ」という教訓と、重なる。橋本の仕事は、その両方の側面を、一人の学者のなかで、はっきり見せてくれる。

まとめ

判定対象
動かない前提上代特殊仮名遣——万葉仮名が二つのグループに厳密に書き分けられているという事実
教室の道具として残る文節——発音の切れ目に基づく、耳で確かめられる区切り方
万能ではない文節は、研究の現場では、語や句など他の単位と使い分けられる
まだ決着していない二つの音の実際の姿(八母音説を含め、複数の説が併存)

一言でいえば——橋本進吉が確かめた「過去の事実」は、今も動かない。橋本が作った「現在を説明する枠組み」は、教室では今も生きているが、万能ではない。