ビーチ・ラ・マー(南太平洋のピジン英語)、モーリシャス・クレオール語、チヌーク・ジャーゴン——第12章「ピジン語とその同類」で、イェスペルセンはこれらの言語を、当時としては驚くほど公平な目で見つめている。

「乱れ」の原因は、片側だけにあるのではない

ピジン語は、しばしば「現地の人々が英語をうまく話せなかった結果」だと考えられてきた。だがイェスペルセンは、この見方に真っ向から異を唱える。「正しい英語からの逸脱は、東洋の人々と同じくらい、英語話者の側にも原因がある」と、彼ははっきり書いている。責任を一方だけに負わせる従来の説明を、そもそも成り立たないものとして退けているのである。

その根拠として、彼はこんな例を引く。あるヨーロッパ人が現地の召使いに向かって、こう問いかける——「Can missus see?(奥様はお会いできますか?)」。イェスペルセンはこう指摘する。

it being a popular superstition amongst the Europeans that to enable a native to understand English he must be addressed as if he were deaf, and in the most infantile language. (現地の人に英語を理解させるには、まるで耳が聞こえない相手であるかのように、もっとも幼稚な言葉で話しかけなければならない——これはヨーロッパ人のあいだに広まった、根拠のない思い込みである。)

イェスペルセンはさらに、この態度を子育てにおける「赤ちゃん言葉」とも重ね合わせる。母親が乳幼児に向けてわざと不完全な言葉づかいで話しかけるのと同じ思い込みが、植民地の言語接触の場面でも働いていた、というのだ。現地の人々の英語が崩れていたのではなく、ヨーロッパ人自身が「赤ちゃん言葉」で話しかけていた——ピジン語の単純な文法は、その両方が積み重なった結果だ、というのがイェスペルセンの見立てである。

通俗的な見方 現地の人々が英語を うまく話せなかった結果 イェスペルセンの見方 ヨーロッパ人が「赤ちゃん言葉」で 話しかけたことも同じくらいの原因 単純化の責任を、片方だけに負わせない——1922年としては異色の視点
ピジン語の単純化、その原因はどちらか。図:ToL

モーリシャス・クレオール語への、率直な賛辞

続く節で、イェスペルセンはフランス語系のモーリシャス・クレオール語の文法を丁寧に検討し、その体系性に感心してみせる。動詞の時制を表す助動詞の組み合わせ方を説明したうえで、こう結論づける。

the language has really succeeded in building up a very fine and rich verbal system with the simplest possible means and with perfect regularity. (この言語は、可能なかぎり単純な手段を使いながら、完璧な規則性をもって、実に見事で豊かな動詞体系を作り上げることに成功している。)

「単純」と「貧弱」を同じものとして扱わない——これはこの特集の別の記事で見た「進歩か衰退か」の論理と、まったく同じ発想である。手段の少なさと、体系としての貧しさは、必ずしも一致しない。

留保しておくべき点

とはいえ、イェスペルセンの立場を無条件に「現代的」と呼ぶのは行き過ぎだろう。彼自身は、ビーチ・ラ・マーやピジンを結局のところ「不完全に習得された英語」(English learnt imperfectly) と位置づけている。現在のクレオール語研究では、ピジン語やクレオール語は、もとになった言語(この場合は英語)の「不完全版」ではなく、それ自体で完結した、独自の文法体系を持つ言語として扱われるのが一般的だ。イェスペルセンは、当時の偏見の半分——「現地の人々だけが悪い」という決めつけ——には抵抗したが、もう半分——「基準となる言語からの逸脱」という枠組みそのもの——は、まだ抜け出せていなかったことになる。

まとめ

論点内容
通俗的な思い込みピジン語の乱れは、現地の人々の英語習得不足のせい
イェスペルセンの反論ヨーロッパ人自身の「赤ちゃん言葉」も、同じくらいの原因
モーリシャス・クレオール語への評価単純な手段で、規則的で豊かな動詞体系を築いていると称賛
なお残る限界ピジン語を「不完全な英語」と位置づける枠組み自体は超えていない

一言でいえば——イェスペルセンは、1922年の時点で、ピジン語の乱れを現地の人々だけのせいにする通俗的な見方に、はっきりと異を唱えた。だが「基準となる言語からの逸脱」という枠組みそのものを超えるには、さらに何十年かの時間が必要だった。