概説記事で予告した三つ目の話題は、標準語である。「標準語」と聞くと、どこかに、正しい日本語の「お手本」があるように思える。上田万年は、『国語のため』(1897) の「標準語に就きて」で、そういう理解を、ヨーロッパの実例で、ほぐしていく。
標準語も、もとは一個の方言だった
上田は、こう述べる。
標準語は、理想的なものではあるが、その初めに遡って論じれば、もとは一個の方言だったものである。
標準語は、どこからともなく現れた完成品ではなく、ある土地で話されていた言葉が、やがて、より広い範囲で通用するようになったものだ、という見方である。
さらに、上田は、標準語の成り立ちを、**「人工的に方言から発達したもの」**と表現する。自然にできあがるのではなく、人の手が加わって、磨かれていく、というのである。
上田が挙げた、ヨーロッパの例
上田は、その例を、ヨーロッパの国々から引く。
- ドイツ:上田の説明では、ドイツの標準語は、はじめ、いくつかの地方の言葉から合成され、宮廷や役所で通用した言葉として整えられた。それが、しだいに各地に広がり、十五世紀には印刷所に採用され、さらに、ルターの聖書翻訳、ゲーテやシラーなどの文豪の作品によって、光彩を増していった、という。
- イギリス:標準語の運命は、中等以上の教育ある人々の手に握られており、その人々の社交上の高尚な趣味が、始終、言語の純粋さを維持している、と上田は書く。
- フランス:一方では、演劇場(コメディ・フランセーズ)に、純粋なフランス語を話す責任が負わされ、他方では、アカデミーが、語学上の問題を討究する、という仕組みを、上田は紹介している。
標準語は「保守力」
もう一つ、上田の見方として重要なのは、標準語の働きについての説明である。上田は、標準語を、こう位置づける。
標準語は、言語の発達における、一つの大きな要素である「保守力」を代表するものである。
言葉は、放っておけば、地方ごとに、時代ごとに、どんどん変わっていく。標準語は、その変化に、ある程度の歯止めをかけて、広い範囲で言葉が通じることを支える。上田は、そういう働きを、「保守力」と呼んだ。
話し言葉と書き言葉の、両方が要る
上田は、標準語を確かなものにするために、忘れてはならない点を、二つ挙げる。第一に、実際に話される上での注意。第二に、文章に用いられる上での注意。
第一の点で、上田は、標準語は、各方言から、それぞれの実質の核を集め、選び取って作るべきものであり、必ず、どこかで現在実際に話されているものであるべきだ、と述べる。そして、日本の文章語のように、筆にだけ綴ることができて、口にはまったく調子の合わないものは、死語に属する、と厳しく評している。
この記事で確かなことと、そうでないこと
この記事で紹介したのは、上田が1890年代に述べた見方である。ドイツ語、英語、フランス語の標準語の成り立ちについての説明は、上田の論述の要約であり、その正確さを、ここで検証したわけではない。また、上田がこの論で、日本の標準語を具体的にどう定めるべきと考えたかは、この記事の範囲では扱っていない。上田の主張が、その後、どう受け取られたかは、判定の記事で整理する。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 標準語の由来 | もとは一個の方言(または複数の方言の合成)。「人工的に方言から発達したもの」 |
| 例 | ドイツ(宮廷・役所・印刷・ルター・文豪)、イギリス(教育ある人々の社交)、フランス(演劇場・アカデミー) |
| 標準語の働き | 言語発達上の一大要素である「保守力」を代表する |
| 二つの注意 | 実際に話されること、そして文章に用いられること |
| 書き言葉だけのもの | 口に調子の合わない文章語は、死語に属する(上田の評) |
一言でいえば——標準語は、天から降ってきたお手本ではなく、もとはどこかの方言で、人の手で磨かれ、支えられてきたものだ、と上田万年は説明した。