概説記事で予告した、一つ目の話題は、ハ行の音である。次の言葉を、声に出して言ってみてほしい。

「〜ほい」でも「〜ぼい」でもなく、「〜い」になる。この語尾は、もとは「ほい」なのだろうか。上田万年は、『国語のため 第二』(1903) の「P音考」で、この例を、論の中心に置いている。

単独では「ハ」、複合語では「パ」

上田は、こう観察する。単独では、ハ行(h)で発音されるものが、一度、複合語になると、必ず、パ行(P)になる。「おこりっぽい」「しめっぽい」「さつまっぽう」がその例である、と。

上田は、その理由を、こう推理する。複合語のときだけ、パ行になるのは、上古の発音の習慣が、その名残として、複合語のなかに残っているからではないか。私たちは、意識せずに、その古い癖に従っているのではないか、と。

単独では「ハ」、複合語では「パ」 おこり + っぽい しめ + っぽい さつま + っぽう 上田万年の推理:古いP音が、複合語のなかに残っている P → ph・f → H(ハ行の音の移り変わり) 例は上田の挙げたもの。図:ToL
複合語のなかに残るP音。図:ToL

上田が見た、二つの可能性

ただし、上田は、慎重に、二つの可能性を分けている。

つまり、「おこりっぽい」のような例が、すべて、上古のP音の直接の生き残りだと言い切っているわけではない。H音の言葉が、古い癖に引かれて、P音に化けるケースも、ありうる、と述べているのである。

「パチパチ」「ピンピン」という音

上田は、もう一つ、身近な事実を挙げる。パ行の音は、発音しやすい音であり、一歳にもならない幼児でも出せる、と上田は言う。日本語では、擬音語(オノマトペ)に、「パチパチ」「バラバラ」「ピシピシ」「ピンピン」「ポツポツ」「ポンポン」のような、P音とB音が、ごく普通に使われる。そして、私たちは、これらを苦もなく発音し、理解している。

そこで、上田は、次のように言う。上古の日本人が、外国の音を練習するときに、パ行の音の発音に苦しんだ、という説は、不思議である、と。こうした音は、日本語に、もともとあったはずではないか、というのである。

現代のハ行への、道すじ

では、ハ行の音は、どう変わったのか。上田は、今日の「ハヒフヘホ」が、「ワキウヱヲ」に移りながら発音されるのと同じように、上古の「パピプペポ」が、奈良朝より前にあって、次第に「ハヒフヘホ」へと移っていったのではないか、と推理する。その途中に、ph、あるいはfのような音を想定している。

この記事で紹介したのは、上田の推理である。その推理が、現在の研究のなかでどう評価されているかは、判定の記事で整理する。上田がこの結論にどんな証拠を積み重ねたかは、原文精読の記事で読む。

まとめ

論点内容
観察単独ではハ行の言葉が、複合語になるとパ行になる(おこりっぽい、しめっぽい、さつまっぽう)
上田の推理上古のハ行はP音で、その習慣が複合語に名残をとどめている
二つの可能性古いP音の直接の生き残り、あるいは、H音の言葉が古い癖に引かれてP音に変わるもの
変遷の道すじP → ph・f → H

一言でいえば——「おこりっぽい」の「ぽ」は、日本語のハ行が、もとはP音だったことの手がかりになる、と上田万年は考えた。その名残は、複合語のなかに、今も残っている。