前の記事では、馬の歯という物証から乗馬の起源を探る調査を見た。この記事では、まったく違う種類の手がかり——ことばそのもの——が、どのようにして年代測定の道具になるのかを見ていく。

単語は、いつでも存在するわけではない

考えてみれば当たり前のことだが、ある単語が言語の中に存在するためには、その単語が指すもの自体が、すでに世界に存在していなければならない。 「スマートフォン」ということばが古代エジプト語になかったのは当然である。スマートフォンそのものが、まだこの世になかったからだ。

この当たり前の事実が、実は強力な年代測定の道具になる。印欧祖語には、車輪・車軸を表すことばが、確実にあった。 言語学者たちの再建によれば、祖語には少なくとも五つ、車輪や荷車にかんする単語があったという——「車輪」を表す語が二つ(別々の種類の車輪を指していた可能性がある)、「車軸」を表す語、「轅(ながえ、動物と車をつなぐ棒)」を表す語、そして「乗り物で行く、運ぶ」という意味の動詞である。

車輪の発明年代は、考古学が知っている

そして、車輪という道具そのものが、いつ発明されたかについては、考古学が、驚くほど正確な答えをすでに持っている。 車輪付きの乗り物を描いた最古の絵、車輪を模した最古の粘土製の模型、そして「荷車」を意味する最古の文字記号——これらはすべて、紀元前3400年から3000年ごろに、ほぼ同時に、ユーラシア各地の遺跡から出土している。それより前の時代には、車輪や荷車の痕跡は、どこにも見つからない。

つまり、車輪という技術そのものが、紀元前4000年より前には存在しなかった、というのが、現在の考古学の確かな結論である。

考古学の物証 車輪付き乗り物の最古の証拠 紀元前3400〜3000年ごろ それ以前は痕跡なし 祖語の語彙 「車輪」「車軸」などの単語 → 車輪発明後に話された はずだ、という結論 「その単語がある」という事実が、年代に下限を与える
車輪ということばが、なぜ年代測定の道具になるのか。図:ToL

借用語ではなく、共有された遺産

ここでもう一つ重要な点がある。この車輪・荷車にかんする単語群は、印欧語族のほとんど全ての枝——西のケルト語派から東のトカラ語、北のバルト語派から南のギリシア語まで——に、共通の語根から派生した同系語(コグネイト)として現れる。もしこれが、どこか一つの言語から別の言語へと後から借用されたことばなら、語族全体にこれほど広く、規則的な対応関係をもって広まることはなかっただろう。 この広がり方そのものが、これらの単語が、祖語がまだ一つのまとまった言語だった時代に、すでに祖語自身の内部で作られていたことを示している。

唯一の例外が、もっとも早く分岐したとされるアナトリア語派(ヒッタイト語など)である。この語派には、確実な車輪語彙が見当たらない。ここから導かれる仮説は興味深い——アナトリア語派の祖先は、車輪が発明される前に、すでに印欧祖語の本体から分かれていたのかもしれない、というものである。

羊毛のことばは、なぜ手がかりとして弱いのか

同じ発想は、羊毛を表すことばにも適用できる。祖語には「羊毛」を意味する語があった。ところが、羊毛を「織物」として使えるようになったのは、羊が長い毛を持つよう品種改良されたあとのことであり、この品種改良がいつ起きたかは、車輪の発明ほどはっきりしていない。そのため、羊毛の語彙は、車輪の語彙ほど強力な年代測定の道具にはならない、とアンソニーは慎重に指摘している。すべての語彙が、同じ精度で年代を教えてくれるわけではない——この見極めそのものが、彼の方法の誠実さを示している。

まとめ

論点内容
基本の発想ある単語が存在するには、その単語が指すものが、すでに存在していなければならない
車輪語彙印欧語族のほぼ全ての枝に共通して存在——祖語の内部で作られたことを示す
考古学との接続車輪の発明は紀元前4000〜3500年ごろ——祖語はそれ以降に話された
慎重な例外羊毛の語彙は、品種改良の年代が曖昧なため、車輪ほど強力な証拠にはならない

一言でいえば——「車輪」というたった一つの単語が、祖語という死んだ言語に、確かな年代の下限を与えている。