アンソニーの思想は、この特集で読んだ一冊の本だけにとどまらない。この特集群がジョーンズから読み継いできた問いとのつながりと、同時代に真っ向から対立する仮説——二つの糸をたどる。
ジョーンズからブルークマンまで、一続きの問い
ジョーンズの特集は、サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語が同じ祖先から分かれたという発見から始まった。ブルークマンの特集で見たとおり、19世紀末の言語学者たちは、この祖語の語彙と文法を、驚くほど精密に再建する方法を確立していた。しかし、彼らの誰一人として、祖語が「どこで、いつ」話されていたのかを、確実な物証にもとづいて示すことはできなかった。 アンソニーの本が答えようとしているのは、まさにこの、200年間持ち越されてきた宿題である。
侵略ではなく、フランチャイズ
アンソニーの答え方には、もう一つ特徴がある。彼は、祖語の話し手たちが各地へ広がっていった過程を、軍事的な征服や大規模な侵略としては描かない。
As I suggested in chapter 14, the initial spread of Proto-Indo-European dialects probably was more like a franchising operation than an invasion.
(第14章で示したとおり、印欧祖語の諸方言の当初の拡散は、侵略というよりも、フランチャイズ展開に近いものだったと思われる。)
「フランチャイズ」という、意図的に現代的なことばを選んでいる点が興味深い。アンソニーが思い描くのは、大軍を率いた征服者ではなく、少数の草原の首長たちが、それぞれの土地に移り住み、その土地の人々を、対等な立場を認める制度——後見人と依頼人の関係、客人をもてなす慣習——に引き込んでいく、という、もっと地味で、もっと現実的な過程である。制度と儀礼が、武力よりも大きな役割を果たした、という見立てである。
レンフルーとの対立——アナトリア仮説
そして、アンソニーの草原起源説には、当時すでに有力な対抗仮説があった。考古学者コリン・レンフルーは、印欧祖語の故郷を、紀元前7000〜6500年ごろのアナトリア(現在のトルコ)に置く。レンフルーの筋書きでは、印欧祖語は、農業という新しい技術とともに、農耕民の移住によってヨーロッパへ広がっていった、とされる。「最初の農耕民の拡散が、言語の拡散でもあった」という、農業起源説は、エレガントで魅力的な説明であり、多くの考古学者に支持されてきた。
しかし、アンソニーはこの説に強く反論する。もしレンフルーの言う通りなら、印欧祖語は、紀元前3500年ごろまでに、すでに三千年以上の歴史を持つ、枝分かれの進んだ大家族になっていたはずである。ところが、車輪の語彙が示すとおり、祖語はこの時点でもまだ一つのまとまった言語だった。 車輪ということばが、祖語がまだ分かれていなかった証拠として、アナトリア起源説と真っ向から矛盾するのである。
まとめ
| つながり | 内容 |
|---|---|
| ジョーンズからブルークマンへ | 「祖語がどこで、いつ話されたか」という、19世紀の言語学者たちが答えられなかった問いを引き継ぐ |
| 拡散のモデル | 侵略ではなく、少数の首長による「フランチャイズ展開」——制度と儀礼による統合 |
| レンフルーとの対立 | アナトリア農業起源説(前7000年ごろ)と、草原起源説(前3500年ごろ)——車輪の語彙が決め手になる |
一言でいえば——アンソニーの答えは、ジョーンズ以来の問いに応えると同時に、同時代の有力な対抗仮説と、真正面から対立するものでもあった。