概説記事で挙げた三つ目の言葉は、「キセル」である。煙管——刻んだたばこを詰めて吸う、あの細長い道具の名前だ。この言葉は、どこから来たのか。新村出の『日本の言葉』(1940) には、「キセルの語源」という章がある。そこには、語源の研究者が、自分の説を取り下げる場面が、そのまま書かれている。
最初の見当:トルコの町
キセルがカンボジア語だと知ったのは、ごく近ごろのことだった、と新村は書き出す。それまでの新村は、別のことを考えていた。
新村は、その年の新年号の雑誌に「煙管」と題してキセルの語源を考える文章を寄せ、そこで、ある人から伝え聞いた小アジアの一都市の名——エスキシエル——から、キセルの名が出たのではないか、という一案を出していた。エスキシエルは、陶製のパイプの名産地として知られる町である。ドイツ製の、桜の小枝で作ったパイプが「ヴァイクセルロール」と呼ばれることも、その名になぞらえて考えた。
ただし、新村自身が、この案を「臆説」と呼んでいる。トルコ語やドイツ語では縁が遠く、陶製や木製のパイプという点でも証拠が足りない。歴史的な考証の域には入らないと思いながらも、そのころは、ほかに適当な語源説が見つからなかったから、ひとまず挙げておいた、というのである。
指摘:「カンボジア語ではないか」
その後、新村のもとに、一つの指摘が届く。渡邊修二郎翁が、雑誌に「サトウ氏と日本文化との関係」という文章を書いていた。その中で、サトウ氏の業績に触れ、キセルの語源について、サトウ氏から聞いた話を、新村に知らせてくれたのである。
その話とは、こうである。サトウ氏は、明治10年(1877年)に発表した「煙草伝来考」では、キセルの語源について、別の(関東の方言にある動詞をもとにした)説を採用していた。しかし、のちに、マレー半島を旅行したときに、この語はカンボジア語から出たことを知った、と語ったことがある、というのだ。そして渡邊翁自身も、明治30年に出した自著『外交通商史話』の中で、すでにその説を挙げていた。
新村は、さっそく、その『外交通商史話』を調べた。そこには、キセルはカンボジア語のクセルから出た、管の意味だ、という趣旨の一条があった。さらに、フランス語対訳のカンボジア語辞書(1902年、香港で出版)を見ると、クセル(khsier)が、パイプ(pipe)と訳されていた。
カンボジア語のクセル(管)が、パイプを指し、それがキセルとなったのは、国語の自然な転化である——新村は、こう結論づけた。
そして、こう書く。
「私は渡邊翁の注意に対して謝意を表する。」(原文の趣旨)
『言海』も、誤っていた
この章には、もう一つ、面白い箇所がある。新村は、明治になってからの、キセルの語源説をたどっている。それによると、大槻文彦が、明治17年に『学芸志林』に出した「外来語源考」で、キセルを「スペイン語」だとし、原語は見つけられていない、としていた。そして、のちの『言海』にも、この説がそのまま受け継がれ、「西班牙語、管の義」と注が付けられた、というのである。
大槻文彦の特集で読んだ『言海』は、日本で最初の近代的な国語辞書だった。しかし、その語源欄には、後の研究で書き換えられた説も含まれていた。新村は、その経緯を、冷静に書き留めている。
「羅宇」の由来も、同じ話につながる
新村は、もう一つ、興味深い事実も書いている。煙管の、吸い口と雁首(火皿のある金属部分)をつなぐ竹の管を、日本語では「ラウ」(羅宇)と呼ぶ。この「ラウ」は、東南アジアの「ラオス」から来た竹(斑竹)の名前だ、というのである。新村は、「ラウ竹」という言葉が、寛永のころから知られているとされることにも触れ、ただし、自分ではまだ確かな証拠を見ていない、と留保をつけている。キセルも、ラウも、東南アジア、カンボジアやラオスの周辺から入ってきた言葉だった、ということになる。
この話から分かること
この章が教えてくれるのは、語源そのものより、語源の研究者の、態度である。
- 証拠が足りないうちは、「ひとまず一案」として出す。
- 別の証拠が見つかったら、自分の説を取り下げて、教えてくれた人に礼を言う。
- 先行研究(大槻の『言海』)が違っていたら、その事実を、ていねいに指摘する。
「間違いに気づいたら、すぐに改める」——新村出の文章には、この姿勢が、はっきり表れている。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 大槻文彦の説 | スペイン語(管の義)。原語は未確認のまま、『言海』にも受け継がれた |
| 新村の最初の案 | トルコの町エスキシエル(陶製パイプの名産地)。ひとまずの一案 |
| 転機 | 渡邊修二郎の指摘。サトウ氏がのちにカンボジア語説に至ったことと、渡邊自身の1897年の著書の記述を確認 |
| 結論 | カンボジア語の「クセル」(管)から。1902年の辞書の記述で裏づけ |
| 態度 | 自説を取り下げ、指摘してくれた人に謝意を述べる |
一言でいえば——キセルの語源は、カンボジア語のクセル(管)。その結論よりも、証拠を前にして、自分の最初の説を、あっさり取り下げた新村出の態度のほうが、この章の読みどころである。