こんな三つの単語を見比べてほしい。「父」を表す語は、サンスクリット語で pitṛ、ラテン語で pater、ギリシア語で patēr。「三」を表す語は、サンスクリット語で trayas、ラテン語で tres、ギリシア語で treis。似ていないだろうか。
1786年、インドのカルカッタで、イギリス人判事ウィリアム・ジョーンズがこの手の類似に気づいた。しかも一つや二つではなく、文法のしくみそのものにまで及ぶ、ずっと深いレベルでの類似だった。彼はこう考えた——これだけ深く似ているのは、偶然ではありえない。
似ているだけなら、理由はいろいろある
言葉が似ている理由は、実はいくつもある。
- たまたま似ている——世界には無数の言語があるから、偶然そっくりな単語が出てくることもある。
- 借りてきた——隣の国と貿易をすれば、便利な単語を借りてくる。日本語の「パン」がポルトガル語由来なのと同じだ。
- 同じ親から生まれた——もともと一つの言語だったものが、時間とともに分かれて別々の言語になった。
ジョーンズが注目したのは、三つ目の可能性だった。なぜなら、彼が指摘した類似は、単語の借用では説明がつかないレベルのものだったからだ。
借りられるもの、借りられないもの
単語(とくに新しい道具や食べ物の名前)は、国境を越えて簡単に行き来する。でも、動詞の活用のしかたや文法の骨組みは、そう簡単には他の言語に伝わらない。これは今の私たちにも直感的にわかる——日本語が英語から「コンピューター」という単語を借りても、日本語の動詞の活用のしかたまで英語式に変わったりはしない。
ジョーンズが指摘したのは、まさにこの「借りられにくい部分」——動詞の語根や文法の形——が、サンスクリット語とギリシア語・ラテン語のあいだで驚くほど似ている、ということだった。だから彼はこう結論づける。この三つの言語は、大昔にはたった一つの同じ言語だったのではないか。今はもう存在しないその言語から、三つに枝分かれしたのではないか、と。
家系図としての言語
これは、言語を「家系図」として見る、まったく新しい見方だった。人間に祖父母や曾祖父母がいるように、言語にも「祖先」がいるかもしれない——サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語は、いわば「いとこ」どうしで、二人とも会ったことのない共通の「ご先祖さま」を持っている、という考え方だ。
ジョーンズはさらに、ゴート語(今のドイツ語やオランダ語の遠い祖先にあたる言語)やケルト語(今のアイルランド語などの祖先)も、同じ家系に属するかもしれないと付け加えた。この「ご先祖さま」にあたる、今はもう話されていない言語のことを、のちの学者たちは「インド・ヨーロッパ祖語」と呼ぶようになる。
なぜこれが大発見だったのか
似ている単語に気づいた人は、ジョーンズより前にもいた。でも、それを公の場で、権威ある学者が、はっきりと言い切ったのはジョーンズが初めてだった。この一言がきっかけになって、「言語がどう枝分かれしてきたかを、きちんとした方法で調べよう」という新しい学問——比較言語学——が生まれることになる。
もっと詳しく、この講演で語られたことを一つずつ見ていきたい人は、ジョーンズの発見を、トピックごとにへ。