前の記事で見たとおり、ジョーンズの議論には強みと弱みが同居していた。「偶然でも借用でもない」という結論は、独立に検証できる根拠に支えられている。だが「では実際に、どの音がどの音に対応するのか」という、もっとも肝心な問いには、彼は答えを出していない。その空白を埋めたのが、彼の死後、次の世代のヨーロッパの学者たちだった。

空白を埋めた三人

フランツ・ボップ(1791–1867、ドイツ)は、1816年、まだ20代で『サンスクリット語の活用体系について、ギリシア語・ラテン語・ペルシア語・ゲルマン語のそれと比較しつつ』という論文を発表する。ジョーンズが一段落で示した直観を、ここで初めて、五つの言語にわたる動詞活用の体系的な比較表という形に落とし込んだ。単語どうしの思いつきの類似ではなく、活用パターンを一つひとつ突き合わせる作業——ジョーンズが「文献学者なら誰でも確信するはずだ」と言い切った、その「確信」の中身を、実際に紙の上で示してみせたのがボップだった。

ラスムス・ラスク(1787–1832、デンマーク)は、1818年、アイスランド語(古ノルド語)の起源を探る懸賞論文の中で、もう一歩先へ進む。ゲルマン語派の子音が、他のインド・ヨーロッパ語族の対応する子音から、一定の規則性をもってずれていることを初めて示したのだ。たとえばラテン語の p が、ゲルマン語派では f になる(pater → father)。これは偶然のばらつきではなく、パターンとして予測できるずれだった。

ヤーコプ・グリム(1785–1863、ドイツ)は、1819年に出した『ドイツ語文法』の、1822年の改訂第2版で、ラスクの観察を整理し、体系立った音韻法則として定式化する。のちに「グリムの法則」と呼ばれるこの規則は、インド・ヨーロッパ祖語の特定の子音が、ゲルマン語派で予測可能な形に変化することを示した。グリム自身については、このサイトのグリムの特集であらためて詳しく取り上げている。

1786 ジョーンズ 直観の提示 1816 ボップ 体系的な比較表 1818 ラスク 子音のずれの規則性 1822 グリム 法則としての定式化 36年のあいだに、「確信」は「比較表」を経て、「予測できる規則」へと鍛え上げられていく
ジョーンズからグリムの法則まで——直観が規則へ鍛え上げられる36年。図:ToL

「規則」になったことの意味

ここが決定的な転換点になる。ジョーンズの「偶然ではありえないほど似ている」は、印象にもとづく判断だった。グリムの法則は違う——どの音がどの音に対応するかを、あらかじめ予測できる。ある単語がゲルマン語派でどんな形を取るはずかを、ラテン語やギリシア語の対応形から機械的に導き出せるようになった、ということだ。予測でき、外れれば反証される——この意味で、比較言語学はここで初めて、検証可能な「法則」を持つ学問になった。ジョーンズが「確信せずにはいられない」という言葉で表現した直観は、ここに至って、個人の確信から、誰にでも適用できる手続きへと姿を変えている。

光と影——同じ発見が生んだ、もう一つの流れ

この発展は、まっすぐに祝福される話ばかりではなかった。19世紀のヨーロッパでは、「インド・ヨーロッパ語族」という言語学上の発見が、いつのまにか「アーリア人種」という、まったく別の——そして根拠のない——人種の物語と結びつけられていく。共通の祖語を話していた人々がいた、というところまでは言語学の主張だが、その人々が単一の「民族」であり、しかも文明的に優れていた、という飛躍は、言語学の外側から持ち込まれた思想だった。この混同がどのように広がり、どんな害をもたらしたかは、このサイトのマックス・ミュラーの特集で、あらためて詳しく見ていく。ジョーンズ自身は、講演の中で人種と言語を同一視するような発言はしていないことも、公平のために付け加えておきたい。

まとめ

人物貢献
ウィリアム・ジョーンズ1786サンスクリット・ギリシア語・ラテン語の類似を指摘、「共通の祖先」という直観を示す
フランツ・ボップ1816五言語の動詞活用を体系的に比較し、直観を比較表として裏づける
ラスムス・ラスク1818ゲルマン語派の子音が、規則的にずれていることを発見
ヤーコプ・グリム1822その規則性を「グリムの法則」として定式化

一言でいえば——一人の判事の直観は、それだけでは学問になりえなかった。三十年余りをかけて、ヨーロッパの学者たちがその直観を、比較表へ、規則性の発見へ、そして予測可能な法則へと、一段ずつ鍛え上げていった。この特集がたどってきたのは、一つの発見の物語であると同時に、一つの「確信」が、いかにして検証可能な学問に育っていくかという物語でもある。