前の記事では、「いとほし」の意味が、千年かけて動いた話を見た。この記事の言葉、「ハイカラ」は、それよりずっと新しい。ところが、その意味の動き方は、驚くほど似ている。折口信夫は、講演「国語と民俗学」(1937)で、自分と同世代の人には記憶のある言葉として、この話を語っている。
今の「ハイカラ」
「ハイカラ」といえば、今では、おしゃれで新しい、洒落た、という、好ましい意味で使われる。「ハイカラな喫茶店」のような言い方である。
もとは、悪口だった
ところが、折口の語るところでは、この言葉が生まれたころは、まったく違う意味だった。
折口によれば、「ハイカラ」という言葉は、洋行帰りの人たちが、きっかけだった。折口が名前を挙げているのは、竹越三叉(たけこし・さんさ)や、望月小太郎(もちづき・こたろう)である。この人たちは、外国から帰ってきたあと、**高い襟(カラー)**を着けて、しかも、かん高い声で演説をした。それを、新聞記者が、嫌った。「きざな奴だ」と。
そこで、新聞記者たちは、この人たちを、「カラー(襟)の高い奴」という意味で、「ハイカラ」と呼んだ。つまり、ハイカラは、もとは、「高い襟」を、からかう言葉だった。
折口は、さらに、こう付け加える。このとき、新聞のなかで、「ハイカラ」に、**「灰の殻」**という当て字が付けられた、と。「灰殻」は、灰のかすのような、価値のないものを連想させる、侮蔑しきった当て字である、と折口は言う。
なお、折口自身、この当て字を最初に付けたのが、どの新聞なのかについては、断定していない。日本新聞の名前を挙げつつも、「言い出したのではなく、当て字を付けたのかもしれない」と、言い直している。
悪口が、褒め言葉になる
では、この言葉は、どうして、褒め言葉になったのか。折口は、こう説明する。
- 最初は、「鼻持ちならない」「きざな奴」「虫酸が走る奴」という、悪い意味だった。
- しかし、この言葉が、しだいに、よい内容を持つようになってきた。
- そして、最初の悪い意味が、だんだんなくなっていった。
折口が述べているのは、悪い内容が、しだいに、よい内容に入れ替わっていったという事実である。なぜそうなったのかまでは、折口は掘り下げていない。悪口として始まった言葉が、褒め言葉に変わる——「いとほし」で見た、意味の動き方と、方向は逆でも、仕組みは似ている。
折口が、この話で言いたかったこと
折口が、この話を持ち出したのは、単に、面白い言葉の由来を語るためではない。その言葉が使われていた時代を、実際に生きた人には、その言葉のはっきりした感覚がある。ところが、時代が過ぎてしまうと、その感覚は、もう取り戻せなくなる。折口は、そのことを言うために、自分たちの世代が記憶している「ハイカラ」を、例に出したのである。
「いとほし」で、千年前の言葉の中間的な感覚が、失われてしまったのに対して、「ハイカラ」は、まだ、折口の世代が、その変化の途中の感覚を、覚えていた。折口にとって、言葉の意味の変化は、遠い昔の話ではなく、自分の生きているあいだにも、目の前で起こるものだった。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 今の意味 | 新しくて洒落ている、という褒め言葉 |
| 由来(折口の語り) | 洋行帰りの人の高い襟を、新聞記者がからかって付けた悪口。「灰殻」という侮蔑的な当て字も付けられた |
| 変化 | 悪口の意味が、しだいに消え、よい内容を持つようになった |
| 折口の意図 | 言葉の感覚は、その時代を生きた人にしかわからない。変化は、自分の目の前でも起こる |
一言でいえば——「ハイカラ」は、洋行帰りの高い襟をからかった悪口だった。それが、使われるうちに、新しくて洒落ているという褒め言葉になった。折口信夫は、その変化を、自分の記憶として語った。