概説記事で予告した、三つ目の話題は、複合語の語順である。折口信夫は、論文「熟語構成法から観察した語根論の断簡」(1931)の冒頭で、古代の日本語の、複合語のつくり方に、現代とは違う型があったのではないか、と論じている。

現代の型:修飾語が先

現代の日本語で、二つの語を組み合わせて一つの語をつくるとき、修飾するほうが先、修飾されるほうが後、という順序が、ふつうである。

修飾する語が、後ろの主役(主部)を、前から説明している。この型が、私たちの言語感覚には、しっくりくる。

折口が指摘した、逆の型

ところが、折口は、古代の言葉のなかに、修飾する語が、主部より後ろに置かれた例が、沢山ある、と指摘する。むしろ、そちらのほうが、古い形だったかもしれない、というほどだ、と折口は言う。

例①:梯(はしだて)

「梯」を、古くは「はしだて」と言った。折口は、『播磨風土記』の記述を挙げる。俵を積み上げて、天に昇る梯を作ったとき、その梯のことを、「立橋」と書いている、というのである。

ここで面白いのは、「橋」という言葉の意味である。折口によれば、私たちは、「はし」と言えば、水平に架かっている橋ばかりを考える。しかし、昔は、**こちらから向こうへ、二つの場所をつなぐものは、すべて「はし」**だった。垂直に立っているもの——つまり、梯——も、「はし」と呼んだのである。

その梯を、「はし」+「立て(だて)」と言った。現代の私たちの言語感覚なら、「立てた橋」、つまり「竪橋(たてはし)」の順に言いそうなものだが、実際は、「はし」が先で、「立て」が後ろに来る。折口は、これを、「橋が立った物」と考えてはならない、と念を押す。

例②:傍丘(かたおか)

もう一つの例は、地名にもある「傍丘(片岡)」という言葉である。今の私たちの感覚では、「丘のそばの平地の、そのまたそばにある丘」といった意味に読めてしまう。

しかし、折口は、こう読むべきだと言う。「傍丘」は、**「丘の傍(そば)」**という意味で、丘の名前というより、丘のそばの土地を指す言葉だった。つまり、「傍(かた)」が主部で、「丘」が、それを修飾している。ただし、現代の私たちには、「丘傍」と言うほうが、自然に感じられるだろう。

例③:下沓(したうづ)・下簾(したすだれ)

折口は、平安時代の宮廷の言葉にも、同じ型があると指摘する。「下沓」は、沓(くつ)の下に履くもの、つまり、靴下のようなものである。「下簾」は、車の前面に垂らした簾(すだれ)の、下の部分を指す。どちらも、「した」が先に来るが、意味としては、**「沓の下」「簾の下」**である。

折口は、これらの言葉には、古い型が、平安時代にも、まだ残っていたのだと考えている。

現代の型:修飾語→主部 高い + 山 → 高山 修飾するほうが先 古い型?:主部→修飾語 はし + だて(立て) 主部が先、修飾するほうが後ろ 折口信夫が挙げた例 梯(はしだて)=はし+立て  傍丘(かたおか)=傍+丘(丘の傍) 下沓(したうづ)=沓の下  下簾(したすだれ)=簾の下 図:ToL(折口信夫「語根論の断簡」の説明による)
複合語の語順の二つの型。図:ToL

日本語だけの話ではない

折口は、この見方を、沖縄の言葉とも結びつける。沖縄には、名詞のあとに「小さい・親しみ」の意味をそえる語(「橋ぐゎぁ」「牛ぐゎぁ」のような)がついて、複合語をつくる型が、目立つという。日本語でも、東北や関東に、語尾に「こ」をつける言い方がある。折口は、こうした型が、日本語の古い型を、遠く離れた土地に残しているのではないか、と考えた。

ここで、確かなことと、そうでないこと

この記事で紹介した、「古代の複合語には、主部が先に来る型があった」という説は、折口の見方である。折口自身、この論文の後半で、「言葉の研究は、ある程度以上に考へを進めれば、勢ひ推測になる」と述べ、推測の限界を断っている。「橋」が垂直のものも指した、という観察や、「傍丘」の意味の読み方は、折口の議論の中身であり、今日の研究者の間で、広く受け入れられているとは限らない。その点は、判定の記事で整理する。折口自身の文章は、原文精読②で読む。

まとめ

論点内容
現代の型修飾する語が先、修飾される主部が後(高山など)
折口の指摘古代には、主部が先で、修飾する語が後ろに来る型があった、と論じる
梯(はしだて)、傍丘(かたおか)、下沓(したうづ)、下簾(したすだれ)
「はし」の意味昔は、二つの場所をつなぐものすべてを指し、垂直の梯も含んだ
注意折口の見方であり、広く受け入れられているとは限らない

一言でいえば——折口信夫は、「梯」「傍丘」「下沓」のような言葉に、修飾語が後ろに来る、古い複合語の型の名残を見た。ただし、それは折口の見方であり、確定した事実ではない。