概説記事で予告した、一つ目の言葉は「いとほし」である。今の「いとしい」の元になった古語だが、折口信夫は、講演「国語と民俗学」(1937)で、この言葉が、もとは反対の意味だったらしい、と説明している。
今の「いとしい」
現代語の「いとしい」は、たとえば、こう使う。
- いとしい我が子。
- 別れた人を、いとしく思う。
かわいくて、大切で、離れがたい——好意の言葉である。ところが、折口によれば、その元になった「いとほし」は、平安時代の前後で、意味が大きく動いていた。
もとは「嫌だ」の意味
折口は、こう説明する。「いとほし」は、もと「厭う(いとう)」という言葉を語根とし、それを形容詞の形にしたものである。 そして、意味の中心は、**「嫌だ」**という気持ちだったらしい、と述べる。
「厭う」は、今でも「労を厭わない」のように使う、嫌がる、避けたがる、という意味の動詞である。その形容詞形なら、「嫌なものだ」「うとましい」という意味になるのが自然である。
別の言葉に「引っぱられた」
では、なぜ「かわいい」に近い意味になったのか。折口の説明は、こうである。
平安時代には、「いたはし」という言葉があった。「いたむ」を語根とする言葉で、「痛々しい」「気の毒だ」のような意味を持つ。この「いたはし」と、「いとほし」は、形がよく似ていた。そのため、「いとほし」は、「いたはし」に引っぱられて、そちらの意味に近づいていった、というのである。
その結果、平安時代の物語や日記には、次のような使い方が、混ざって出てくる。
- 「嫌だ」という意味に近い使い方。
- 「気の毒だ」「かわいそうだ」という意味に近い使い方。
- その中間の、どちらとも取れる使い方。
折口は、こうした「中間」の例が、物語や日記に沢山ある、と指摘する。現代の私たちが読むと、「いとしい」とも「嫌だ」とも訳せてしまう。しかし、その言葉が使われていた時代の人には、その中間の感覚が、はっきりあった——だから、時代が過ぎて、その言葉が忘れられると、もう、その微妙な感覚は、想像もできなくなる、というのである。
意味は、動くもの
「形が似た言葉に引かれて、意味が動く」という考え方は、言葉の意味の変化を考えるうえで、わかりやすい見取り図になる。ただし、この記事で紹介したのは、折口の講演での説明である。「厭う」を語根とするという語源そのものは、古語辞典でも、ふつうに説明される考え方である。「いたはしに引かれた」という部分は、折口の解釈であり、意味の移り変わりを説明する、ひとつのもっともらしい見方として読むのがよい。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 今の意味 | 「いとしい」=かわいくて大切に思う |
| もとの意味 | 「いとほし」は、「厭う」を語根とし、もと「嫌だ」が中心だったらしい |
| 変化の理由(折口の説明) | 形の似た「いたはし」(痛む・気の毒)に引かれて、意味が動いた |
| 平安の実際 | 「嫌だ」と「気の毒」の中間の使い方が、物語や日記に多い |
一言でいえば——「いとほし」は、もと「嫌だ」の意味の言葉だった。形の似た「いたはし」に引かれて、しだいに「気の毒」「かわいい」の側へ寄っていった、と折口信夫は説明した。