このサイトには、これまで西洋の比較言語学史を扱った特集が続いた。ここからは、日本語という一つの言語の内側で、近代的な言語研究がどう立ち上がっていったかを、9人の国語学者を通じて読んでいく。最初の一人は、大槻文彦(1847–1928)——日本初の近代的国語辞典『言海』の編者である。

「国語の辞書を作れ」——それだけの命令

明治初期の日本には、実は「近代的な国語辞典」と呼べるものが存在しなかった。江戸時代までの日本には、『節用集』のような実用的な語彙集や、漢字を意味分類で並べた『和玉篇』のような辞書はあった。しかし、日本語の単語を、五十音の順序で並べ、その単語自体を日本語で説明するという、今では当たり前の辞書は、まだどこにもなかった。

大槻文彦は、仙台藩出身の蘭学者・大槻磐渓を父に持ち、開成学校(東京大学の前身の一つ)で学んだ国学者である。1875年(明治8年)ごろ、文部省から呼び出された大槻は、当時の文部省編輯局長・西村茂樹から、国語の辞書の編纂を命じられる。この事情は、『言海』巻頭に置かれた西村自身の序文(漢文)にも記されている。

手本のない仕事

この命令には、具体的な手引きはほとんどなかった。ウェブスターの英語辞典のような、参照すべき西洋の辞書のあり方は知られていたが、日本語という言語そのものを、五十音順・品詞分類・発音表記つきで記述するという作業を、誰もまだやったことがなかった。大槻は、序文で自らこの事情を率直に語っている(詳しくは精読記事で読む)。

それまでの語彙集 節用集・和玉篇など 意味分類・実用目的の配列 『言海』1889–1891 五十音順・品詞分類 日本語による日本語の説明 手本のないところから、近代辞書の型そのものを作った
『言海』が日本の辞書にもたらした、構造上の転換。図:ToL

14年という歳月

命令を受けてから初版が完結するまで、大槻は実に14年ほどの歳月を費やしている。単語の収集・語釈の執筆にとどまらず、五十音順という新しい排列方式、発音・アクセントの表記法、品詞の分類法まで、ほぼゼロから設計し直さなければならなかった。完成した原稿は、その後も文部省の審査を経て、最終的には大槻自身の自費出版というかたちで、1889年から1891年にかけて4冊に分けて刊行された。

この特集の見取り図

この特集ではまず、『言海』がもたらした二つの革新——五十音順という並べ方、そして日本語を日本語で説明するという方法——を、専門用語なしで紹介する。続いて、『言海』の序文と「本書編纂ノ大意」を原文で精読し、大槻自身の言葉で語られる編纂方針を読む。そして、この事業を支えた明治政府の国語政策とのつながり、最後に130年以上のちの視点からの検証で締めくくる。

まとめ

論点内容
誰が大槻文彦(1847–1928、仙台藩出身、国学者)
代表作『言海』(1889–1891、全4冊)
経緯1875年ごろ、文部省編輯局長・西村茂樹の命により編纂開始
かかった歳月命令から初版完結まで、約14年

一言でいえば——大槻文彦は、手本のないところから、日本語の辞書がどうあるべきかという「型」そのものを、一人でほぼゼロから作り上げた。