やさしい解説の記事では、「ぞ」「こそ」のような助詞が文末を遠くから決めてしまう、係り結びの仕組みを見た。ここでは、山田が『日本文法論』第一部「語論」で、この助詞そのものをどう論じているかを、原文で読む。
まず、呼び名の歴史から
山田は、「係助詞」という自分の用語を示す前に、まず、この種の助詞が、これまでどう呼ばれてきたかを確認する。
こゝに係助詞と稱するものは從來係り詞と稱せられたるものにして、これらの大部分「なを除きての他は從來係り詞と稱せられたる處のものなり。
(ここで係助詞と呼んでいるものは、これまで「係り詞」と呼ばれてきたものであって、その大部分——「な」を除いた他のものは、従来「係り詞」と呼ばれてきたものである。)
この一文だけでも、山田の方法がよく分かる。新しい理論を語る前に、まず「この現象は、これまで何と呼ばれてきたか」という、用語の歴史から確認する。 「係る」(かかる)ということば自体は、やさしい解説の記事で見たとおり、文の途中の助詞が、文末に向かって「働きかける」という比喩から来ている——この呼び名そのものが、すでに江戸時代の国学者たちのあいだで定着していたことを、山田はここで確認しているのである。
本居宣長・富士谷成章という先人たち
このページのすぐあとで、山田は、係り結びの研究史における二人の重要な先人——本居宣長とその周辺、そして富士谷成章——に言及していく。富士谷成章は、その著書『あゆひ抄』(別名『玉の緒』)のなかで、「てにをは」(助詞・助動詞の類)が文全体の結びをどう決めるかを、早い時期から体系的に論じた学者である。山田は、こうした先人たちの用語や分類を一つひとつ検討しながら、自分自身の「係助詞」という整理へとたどり着く。
なぜ、名前の由来にこだわるのか
一見、些末に思えるこの「呼び名の検討」には、重要な意味がある。係り結びという現象そのものは、江戸時代の国学者たちが、すでに実例の観察を通じて発見し、名前を与えていた。 山田の仕事は、ゼロから現象を発見することではなく、すでに先人たちが観察していた現象を、やさしい解説の記事で見た陳述論という、より大きな理論的枠組みのなかに、体系的に位置づけ直すことだった。係助詞は、陳述——文末の形を決める働き——に、文の途中から特別な形で干渉する存在として、理論全体のなかに組み込まれていく。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 引用の要旨 | 「係助詞」という呼び名は、従来「係り詞」と呼ばれてきたものを引き継いでいる |
| 参照する先人 | 富士谷成章(『あゆひ抄』)、本居宣長ら、江戸時代の国学者たち |
| 山田の仕事 | 現象そのものの発見ではなく、先人の観察を体系的な理論のなかに位置づけ直すこと |
一言でいえば——係り結びは、山田が発見した現象ではなく、江戸の国学者たちがすでに見つけていた現象だった。山田の功績は、それを陳述論という、より大きな理論の中に組み込み直したことにある。