前の記事では、文末の形が文全体の性格を決める「陳述」という仕組みを見た。この記事では、その文末の形を、文の途中にある一つの助詞が、遠く離れたところから決めてしまうという、古典日本語特有の現象を見ていく。

「ぞ」が入ると、文末が変わる

次の二つの文を比べてみてほしい(古典日本語の例)。

二つ目の文には、一つ目にはなかった「ぞ」という助詞が、文の途中に入っている。すると、文末の形が「けり」から「ける」へと変わっている。「ぞ」という、文末から離れた場所にある助詞が、まるで遠隔操作するかのように、文末の活用形を変えてしまうのである。

同じことは「こそ」でも起きる。

ここでは文末が「けり」でも「ける」でもなく、「けれ」という、また別の形になる。

「係る」から「結ぶ」まで

この現象は、古くから「係り結び」と呼ばれてきた。「ぞ」「なむ」「や」「か」という助詞は、文の途中から文末に向かって係り(かかり、働きかけ)、それに応じて文末が特定の形に結ばれる——「ぞ・なむ・や・か」は文末を連体形に、「こそ」は文末を已然形に変える、というのが、古典日本語の規則である。まるで、文のどこかで発せられた合図が、文末まで届いて、そこで初めて音を立てて閉じるかのような仕組みである。

咲き ける (連体形) 「ぞ」が文末を「連体形」へと係る(呼応する)
「ぞ」が遠く離れた文末の活用形を決める、係り結びの仕組み。図:ToL

なぜ、これほど不思議な仕組みなのか

この現象の何が特別かと言えば、普通、単語の活用形は、その直前の単語によって決まるということが多い。ところが係り結びでは、文の途中、時には何文節も離れた場所にある助詞が、文末の活用形を決めてしまう。これは、いわば「長距離の呼応」であり、多くの言語に見られる普通の語形変化とは、少し違う種類の現象である。

そして、この仕組みは、現代の標準的な日本語からは、ほぼ完全に姿を消している。現代語で「花こそ咲いた」と言っても、文末の「咲いた」の形は変わらない——古典語のような「已然形での結び」は、もう起こらない。なぜこれほど際立った仕組みが失われたのかは、日本語の歴史そのものにかかわる大きな問いであり、この特集の後の記事でも触れていく。

まとめ

論点内容
観察された現象「ぞ・なむ・や・か」「こそ」が文中にあると、文末の活用形が変わる
規則「ぞ・なむ・や・か」は連体形へ、「こそ」は已然形へ、文末を結ぶ
特殊な点直前の単語ではなく、離れた場所の助詞が文末の形を決める「長距離の呼応」
現代語との違い現代の標準的な日本語からは、ほぼ完全に姿を消した

一言でいえば——古典日本語には、文のどこかで発せられた合図が、文末まで届いて初めて形になる、というルールがあった。それが係り結びである。