J・L・オースティン
「誓います」と言うことは、結婚の説明ではなく結婚することそのものだ。死の2年後に講義ノートから編まれた『言語と行為』(1962) を、遂行文の発見から、適切性条件、そして発語行為・発語内行為・発語媒介行為という一般理論まで読む。
オースティン『言語と行為』(1962) を読む——「言うこと」は「すること」である
1960年に世を去った哲学者が遺したハーヴァード講義ノートから、死後に一冊の本が編まれた。「本当か偽か」でしか文を見てこなかった哲学に対し、オースティンは「結婚式で誓う」「船に名づける」「賭ける」——ことばを発することがそのまま行為になる文があると指摘する。遂行文の発見から、適切性条件、そして発語内行為という一般理論まで、その全体像を読む。
『言語と行為』を、やさしく言うと
「誓います」と言うことは、結婚についての説明ではない。結婚することそのものだ——オースティンの本が見つけた、ちょっと不思議な文のなかまを、専門用語なしで追ってみる。
『言語と行為』の6つの発見を、一つずつ
「誓います」から「発語内行為」まで。『言語と行為』が積み上げた議論を、一項目ずつ、短い例とともに読む。
遂行文と事実確認文——「言うこと」と「すること」のあいだで、線はどこに引けるか
「操作的」ではなく、なぜ「遂行的」という新しい語を選んだのか。ことばなしでも結婚や賭けはできるのに、なぜ「言うことがそうすることになる」と言えるのか。『言語と行為』第2〜5講を読む。
適切性条件——遂行文は、こうして「空振り」し、こうして「濫用」される
結婚式で誓っても、資格がなければ結婚は成立しない。「約束します」と言っても、守る気がなければ空々しい。オースティンが立てた六つの規則——A・B・Γ——を、原文の言葉で読む。
発語行為・発語内行為・発語媒介行為——「言う」の中の三つの層
「議論する」とは言えても「説得する」とは言えない——この小さな違いが、二つの行為を隔てる目印になる。ウォルト・ホイットマンへの脱線もまじえて、『言語と行為』第8〜10講の一般理論を読む。
判定・権能行使・約束・態度表明・言明——発語内行為を分類する、最後の試み
「あまり気に入ってはいない、いくぶん感じの悪い名前」——オースティン自身がそう認めながら示した、発語内行為の五つの類。『言語と行為』最終講を、本人の率直な迷いごと読む。