前章の終わりで触れたとおり、ソシュールが言語を体系の内側に閉じ込めたことへの異議は、二つの方向から来る。まず来るのは、アメリカの人類学者エドワード・サピアである。ソシュールの『講義』からわずか5年後、1921年に出た『言語』は、フンボルトの遺産を受け継ぎながら、そこに刻まれていた序列を切り落とす。
話すことは、歩くことと違う
サピアはこう書く。
歩行は有機的で本能的な機能であり、発話は非本能的で後天的な、“文化的”機能である。
子どもを生まれてすぐ別の社会に移せば、歩き方はほぼ同じに育つ。だがことばは、もとの環境とは「完全に食い違う」ものになる(記事013)。この出発点は、アリストテレスが「概念は万人に共通、恣意的なのは記号の表層だけ」と考えたのとは、静かに違う方向を向いている。サピアにとって、後天的で文化的なのは記号の形だけではない。ことばを話すという営みそのものが、丸ごと文化の産物なのだ。
フンボルトの遺産、序列ぬきで
サピアの根にあるのは、フンボルトが「言語=世界観」と呼んだ直観である。だがフンボルトは、その直観と並べて、言語の型に序列をつけてもいた——孤立語・膠着語・抱合語より、屈折語(サンスクリット、ギリシア語、ラテン語)のほうが精神の発達した段階にある、というのだ(記事035)。サピアは、この序列づけだけを、きっぱりと切り捨てる。
人種は、その唯一理解可能な意味——生物学的な意味——において、言語と文化の歴史に対して至高に無関心である。
「スラヴ主義」「アングロサクソン主義」「ラテンの天才」といった標語を、サピアは「感傷的な信条」と呼ぶ。英語を話すからといって、話者の人種も、思考の「潜在的な内容」も決まらない。
言語の形式に関しては、プラトンはマケドニアの豚飼いと並んで歩き、孔子はアッサムの首狩り人と並んで歩く。
ソシュールとは違う道で、同じ直観へ
ここでもう一つ、興味深い一致が起きる。文化と言語のあいだにも、サピアは因果関係を認めない。
文化とは、社会が行い考えることである。言語とは、思考の一つの《やり方(how)》である。
語彙は文化を映すが、それだけだ——「言語学徒は、言語をその辞書と同一視する過ちを決して犯してはならない」。この一言は、ソシュールが「言語には差異しかない」と言うときの構え(前章)と、驚くほど近い。サピア自身も、言語の本質を個々の語の意味にではなく、音のパターンという形式の側に見出す(記事018)。ソシュールとサピアは、互いを踏まえずに、独立に同じ直観へたどり着いている——形式とは実体ではなく、差異であり、型である、と。
ただし、二人は同じ直観を、正反対の場所へ持っていく。ソシュールは、その直観を使って言語を体系の内側へ閉じ込め、パロール(個人の発話、歴史、社会)を外に締め出した(前章)。サピアは、まったく同じ直観を使って、言語を文化・歴史・人種・芸術のただなかへ押し戻す。ソシュールが除いた変数のすべてを、サピアはむしろ主題に据える。
何が受け継がれ、何が反転したか
サピアが受け継いだのは、フンボルトの核心——言語は本能ではなく、文化が担う複数の世界観だ、という直観である。切り捨てたのは、その直観にこびりついていた序列——優れた言語、劣った言語という考え方だ。そして、ソシュールと同じ「形式は差異である」という発見に、独立の道からたどり着きながら、それを体系の内側にではなく、人間の歴史と文化のただなかに置き直した。
こうして20世紀前半、言語をめぐる考えは大きく二つに分かれていた。一方には、言語を体系として閉じ込め、記述する言語学(ソシュール、そしてサピア自身が本領を発揮した音韻論)。他方には、なぜことばの意味そのものが、体系の中の位置には収まりきらないのかを問う哲学者たちがいた。両者がぶつかり、そして分かれていく現場——それが次の章の舞台である。