特集
中心から放射状に九つの枝が伸びる抽象的な木の図——「言語とは何か」の系譜を表す、ToLオリジナルのイラスト

「言語とは何か」の系譜

プラトンから現代まで、これまでの特集を貫く一本の問いをたどり直す。言語は「もの」か「働き」か、「自然」か「取り決め」か——この軸の上を、二千年以上にわたって思想が行き来してきた歴史を、七つの章で描く、特集をまたぐ特集。

068

「言語とは何か」の系譜——地図をひらく

プラトンからオースティンまで、これまで書いてきた九つの特集を、一本の問いで貫き直す。言語は「もの」か「働き」か。「自然」か「取り決め」か。二千三百年のあいだ、思想はこの軸の上を行き来してきた——その全体地図。

069

問いの誕生——プラトンとアリストテレス

師は「名前は自然か取り決めか」を未決のまま閉じ、名前を「ものを分ける道具」と呼んだ。弟子は道具モデルを退け、取り決めを公理として引き取り、そのかわり問いの単位を「名前」から「文」へずらす。西洋の言語哲学は、この師弟の対話から始まった。

070

文法は心を写す——ポール・ロワイヤルの賭け

アリストテレスは、主語と述語を結ぶ「である」に、真偽の宿る場所を見た。17世紀パリ郊外の修道院で書かれた小さな文法書は、その「である」を、判断するという心の働きそのものの現れだと読み直し、そこから品詞のすべてを導こうとする。

071

言語は「働き」である——フンボルトの転回

アリストテレスは、記号の奥にある概念は万人に共通だと考えた。ポール・ロワイヤルは、その共通の心から文法という「作品」を導こうとした。19世紀プロイセンの外交官は、両方の前提をひっくり返す——言語に完成品はなく、概念そのものが言語ごとに違う、と。

072

差異の体系へ——ソシュールと言語学の自立

フンボルトが「言語は働きだ」と言った半世紀後、スイスの言語学者は「働き」を研究の外に締め出す。だが彼が取り戻した体系は、アリストテレスの体系とは似ていない——そこには、名づけを待つ「もの」がそもそも存在しない。

073

本能でも人種でもない——サピアと複数の世界観

フンボルトの「言語は世界観」というテーゼを受け継ぎながら、その世界観に優劣をつけた部分だけは切り捨てる。ソシュールが体系の内側に沈んでいくのに対し、サピアは言語を文化・歴史・人種のただなかへ押し戻す。

074

像から使用へ、そして行為へ——ウィトゲンシュタイン、チョムスキー、オースティン

一人の哲学者が、生涯のうちに「言語は世界を写す像だ」から「意味とは使用だ」へと転向する。その転向のあと、20世紀後半の言語をめぐる思想は、構造の側と活動の側、二つの道へはっきりと分かれる。系譜の最後の章。

← ホームへ