前章の終わりで見たとおり、20世紀前半、言語をめぐる考えは、体系として記述する言語学と、意味そのものを問う哲学とに分かれていた。この最後の章では、その哲学の側で起きた一つの転向と、20世紀後半に起きたもう一つの分岐を追う。

一人の中の、系譜全体——ウィトゲンシュタイン

概観で先取りしたとおり、この系譜全体を一人の生涯のうちに圧縮してみせた哲学者がいる。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインである。

前期の主著『論理哲学論考』(1921)で、彼はこう書く。

事実の論理的な像が、思考である。

命題とは、名を並べることで、ある事態を「試験的に組み立てる」ものだ——名の配列そのものが、現実の配置を写すになる(記事024)。この構図は、アリストテレスが文に真偽の宿る条件を見たこと(第1章)、ソシュールが言語を体系として捉えたこと(第4章)と、同じ側に立っている——言語は、世界かあるいは思考の構造を、正確に写しとる装置だ、という発想である。

ところが後期の『哲学探究』(1953)で、ウィトゲンシュタインはこの構図を、自分の手で解体する。

語の意味とは、それが言語のなかで用いられる、その使用である。

機関車の運転台に並ぶレバーは、どれも似た形をしているが、あるものは連続的に強さを変え、あるものは二択のスイッチで、あるものは引くほど強くなる——見た目だけでは働きは分からない(記事026)。語の意味も同じだ。指し示す対象を思い浮かべても、意味は決まらない。決まるのは、その語が生活のどんな場面で、どう使われているかによってでしかない。

前期——『論理哲学論考』(1921) 命題は現実の論理的な像である アリストテレスの主張文、 ソシュールの体系と同じ側 構造・実体 1929年 自己批判 後期——『哲学探究』(1953) 語の意味とは、その使用である フンボルトのエネルゲイア、 サピアの文化的パターンと同じ側 活動・行為
ウィトゲンシュタイン一人の生涯に圧縮された、系譜全体の振り子。図:ToL

「まず定義を探すな、実例を見よ」という家族的類似の方法(記事027)も、「意味は個人の心のうちにではなく、共同体の実践のうちにある」という私的言語論(記事028)も、この一つの転向から流れ出ている。構造から活動へ——この特集全体が二千三百年かけて描いてきた振り子が、一人の哲学者の中で、三十年ほどのあいだに起きている。

分かれ道——チョムスキーとオースティン

ウィトゲンシュタインが自分の像の理論を壊したあと、言語をめぐる思想は、彼が示した分かれ道の両側へ、それぞれ進んでいく。

一方の道を進んだのは、ノーム・チョムスキーである。1957年の『統辞構造論』でチョムスキーは、文法とは「意味からも使用頻度からも自律した」装置だと論じる(記事054)。彼が明示的に持ち出す祖先は、ポール・ロワイヤルとフンボルトだ——1966年の『デカルト派言語学』で、ポール・ロワイヤルの「隠れた文」を深層構造の先駆と呼び、フンボルトの「有限の手段の無限の使用」を生成文法の標語として掲げる(第2章第3章)。ただしチョムスキーが受け継ぐのは、フンボルトの「エネルゲイア」という言葉だけで、その中身は反転している——フンボルトにとって活動とは、話し手がそのつど産み出す、二度と同じでない営みだった。チョムスキーにとって、それを生み出す文法という装置は、心に生得的に備わった、固定された構造である。ウィトゲンシュタインが壊した像の理論とは違う形で、チョムスキーは言語をふたたび、体系として——構造の側に——引き戻す。

もう一方の道を進んだのは、J・L・オースティンである。1962年に死後出版された『言語と行為』は、ウィトゲンシュタインの「意味とは使用である」という洞察を、さらに先へ押し進める。「誓います」「賭けます」——ある種の文は、何かを記述するのではなく、発すること自体がそのまま行為の遂行になる(記事061)。ウィトゲンシュタインは、語の意味が使用の中にあることを示した。オースティンは、その一歩先——発話そのものが、行為であることを示す。言うことは、もはや「世界を写す」ことの派生形ですらない。言うことは、それ自体ですでに、することなのだ。

後期ウィトゲンシュタイン チョムスキー (1957) 統語論の自律性 ポール・ロワイヤル+フンボルトを 構造の側で再統合 オースティン (1962) 言語行為論 「意味とは使用」を 「言うことは行為だ」まで進める
ウィトゲンシュタインの転向のあと、二つの道へ——チョムスキーとオースティン。図:ToL

興味深いのは、この二人がほぼ同時代人でありながら(チョムスキーは1928年生まれ、オースティンは1911年生まれで1960年没)、正反対の方向を向いたことだ。チョムスキーは、言語を意味からも状況からも切り離し、心の内部にある形式的な装置として研究する。オースティンは、まさにその「意味」や「状況」——遂行文がうまくいくかどうかを決める適切性条件——こそが、言語の中心だと考える。同じ20世紀後半、同じ英語圏の哲学的土壌から、この特集全体を貫いてきた一本の軸が、もう一度、はっきりと二つに割れて現れている。

系譜の終わりに

こうして七つの章をたどってきた。プラトンが開いた問いは、アリストテレスの手で公理になり、ポール・ロワイヤルの手で心の鏡になり、フンボルトの手で活動へと解き放たれ、ソシュールの手でふたたび体系へ引き戻され、サピアの手で文化と歴史のただなかに置き直され、ウィトゲンシュタインの生涯の中でもう一度、構造から活動へと転向し、最後にチョムスキーとオースティンという二つの道に分かれた。

思想家一言で位置
1プラトン→アリストテレス取り決めが公理になり、問いの単位が名前から文へ構造の誕生
2ポール・ロワイヤル文法は心が判断する働きの鏡構造
3フンボルト言語は作品でなく、絶えざる活動構造→活動
4ソシュール差異だけからなる、実体なき体系活動→構造
5サピア複数の世界観、優劣なく構造→活動
6ウィトゲンシュタイン→チョムスキー/オースティン像から使用へ、そして統語論の自律性と言語行為論へ活動→構造/活動

一言でいえば——「言語とは何か」に、まだ最終的な答えはない。だが、この振り子が二千三百年のあいだ止まらなかったという事実そのものが、一つのことを教えてくれる。言語を「もの」として固定しようとする欲望と、「働き」として解き放とうとする欲望は、おそらくどちらも、言語という対象の中に、はじめから両方とも書き込まれているのだ。次にこの振り子がどちらへ動くかは、まだ誰にも分からない。