「メルヒェンを集めた兄弟」として世界でもっとも読まれているグリム兄弟——だがその兄、ヤーコプ・グリム(1785–1863)は、同じ手つきで言語そのものにも取り組んでいた。1822年に出た『ドイツ語文法』第1部・第2版のある1ページに書き込まれた、たった一つの表。これが、のちに「グリムの法則」と呼ばれることになる、言語史上もっとも有名な発見の一つの原点である。

法律家から文献学者へ

グリムはヘッセン(現ドイツ)のハーナウに生まれ、マールブルク大学で法律を学んだ。指導教員は、のちに「歴史法学派」を打ち立てることになる法学者フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー——法とは、立法者が机上で作るものではなく、ある民族の歴史のなかで有機的に育ってきたものだ、という立場である。この考え方は、グリムが後年、言語という対象に向き合う姿勢そのものに刻み込まれることになる。言語もまた、規則を後から当てはめる対象ではなく、それ自体の歴史のなかで規則的に変化してきたものだ——この直観は、法学から文献学への転身のなかで育まれた。

弟ヴィルヘルムとともに、1812年から民話・伝説を集めた『子供と家庭のメルヒェン集』の刊行を始めたのも、この時期と重なる。方言や古い言い回しをできるだけ手を加えずに書き留めるという二人の編集方針は、のちの言語研究にも通じる態度だった。民族の歴史のなかに、自然に育ってきたものを、あるがままに記述する——メルヒェン集めと文法研究は、グリムのなかでは別々の仕事ではなく、同じ一つの学問的な情熱の、二つの現れだったといえる。

『ドイツ語文法』——初版から第2版へ

『ドイツ語文法』全4部の構想が動き出したのは1819年、その第1部の初版によってである。だがこの初版は、のちの版と比べるとまだ小さな仕事だった。転機になったのは、デンマークの学者ラスムス・ラスクが1818年に発表した懸賞論文——アイスランド語(古ノルド語)の起源を探るなかで、ゲルマン語派の子音が他のインド・ヨーロッパ語族の言語から規則的にずれていることを示した仕事だった。グリムはこれを読んで、自分の研究に決定的に欠けていたものに気づく。そうして1822年、初版の分量を優に倍以上に増やし、まったく新しい章を書き加えた第2版が世に出た。その新しい章の名は——「異言語の文字の比較」(Vergleichung fremder Buchstaben)。

一つの表——「二重の音韻推移」

その章の終わり近く、584ページに、グリムはこう書く。

Die ganze für Geschichte der Sprache und Strenge der Etymologie folgenreiche zweifache Lautverschiebung stellt sich tabellarisch so dar: (言語の歴史にとって、また語源学の厳密さにとって、これほど重要な帰結をもたらす二重の音韻推移は、表にすると次のようになる。)

続けて示される表は、ギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語のあいだで、p・t・k のような子音が段階的にずれていく対応関係を、simpleな三段の表にまとめたものだ。ラテン語の pater がゴート語で fadar、古高ドイツ語で fater になる——このような規則的なずれを、グリムは個々の単語の思いつきの比較としてではなく、言語全体を貫く一つの体系的なパターンとして提示した。表そのものの中身と読み方は、この特集の次の記事、そして原文を精読する記事で詳しく見ていく。

1812– メルヒェン集め 兄弟での刊行開始 1819 文法初版 音韻推移の章はまだない 1818読了 ラスクを読む 子音の規則的なずれ 1822 文法第2版 音韻推移の章を新設 分量は倍以上に増え、「グリムの法則」の原点となる表がここで初めて世に出た
『ドイツ語文法』初版から第2版へ——ラスクを読んでからの3年。図:ToL

この特集の見取り図

この特集では、この一つの発見をさまざまな角度から読み直す。次の2本は、専門用語なしでこの発見の中身とグリムという人物の背景を紹介する解説記事。続く3本は、1822年の原文そのものの精読、この法則につきまとった「例外」が半世紀後にどう解消されたかという物語、そして音韻法則という発想が言語学全体に何をもたらしたかという遺産をたどる。最後は、二百年後の視点からこの法則を検証する記事で締めくくる。

まとめ

論点内容
誰が、いつヤーコプ・グリム、1822年、『ドイツ語文法』第1部・第2版
背景弟ヴィルヘルムとのメルヒェン集め、サヴィニーの歴史法学派の影響
直接のきっかけラスムス・ラスクの1818年の懸賞論文
中心の発見ギリシア語・ゴート語・古高ドイツ語の子音が規則的にずれる「二重の音韻推移」
のちの呼び名グリムの法則(Grimm’s Law)

一言でいえば——メルヒェンをあるがままに書き留めた同じ手が、言語の変化のなかにも、あるがままの規則性を見つけ出した。1822年のこの1ページから、この特集は始まる。