やさしい解説の記事で紹介した「例外には必ず理由がある」という姿勢を、ここでは原文のドイツ語で読む。
脚注、たった一つの宣言
この言葉は、本文ではなく、序文の脚注に置かれている。ブルークマンは、自分の記述方針を説明する文脈の途中、さりげなく、しかし力強くこう書き記した。
Unser Aller Streben geht heute dahin, den Ausnahmen und Unregelmässigkeiten gegenüber nicht nur gelegentlich, sondern jedesmal und systematisch nach dem die Ausnahmestellung bedingenden Grunde zu suchen, und wir halten die Aufgabe der Wissenschaft so lange für unerledigt, bis die Antwort auf das Warum gefunden ist.
(われわれすべてが今日目指しているのは、例外や不規則性に対して、時折ではなく、そのたびごとに、体系的に、その例外を条件づけている理由を探し求めることである。そして、「なぜか」という問いへの答えが見出されるまで、われわれは学問の課題を未完了とみなす。)
注目してほしいのは、「Unser Aller」(われわれすべての)という言葉である。ブルークマンは、これを自分一人の個人的な信条としてではなく、自分と同世代の言語学者たち全員が共有する、集団的な姿勢として書いている。この一文のすぐあとには、こう続く——かつては完全に解決済みだと信じられ、断定的な判断さえ下されていた言語現象の、いったいどれほど多くが、この探求によって、かえって「まだ答えの出ていない問題」へと変わったことか、と。
「解決済み」を、もう一度「未解決」に戻す
この一節は、逆説的な誠実さを示している。科学の進歩は、必ずしも謎を減らすとは限らない。むしろ、以前は誰も疑わなかった「常識」を、あらためて問い直すことで、新しい謎を生み出すことがある。 ブルークマンにとって、これは後退ではなく前進だった。安易な「そういうものだ」という説明で片付けられていた現象を、もう一度、本物の問いとして扱い直すことこそが、学問の仕事だったのである。
この一文が置かれた文脈
この脚注が付いているのは、ブルークマンが自分の叙述方針——どの学説を採用し、どの論争には深入りしないか——を説明している段落の中である。方法論の宣言を、本文で高らかに謳うのではなく、脚注にさりげなく書き添えるというスタイルそのものが、概説記事で見た「学生向けの実用書」というこの本の性格を、よく物語っている。派手な宣言というより、日々の記述の中で当然のこととして実践される姿勢——それが、青年文法学派のやり方だった。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 引用の要旨 | 例外には、時折ではなく毎回、体系的に理由を求める。理由が見つかるまで課題は未完了 |
| 使われている言葉 | 「Unser Aller」(われわれすべての)——個人ではなく世代の共有姿勢として |
| 逆説的な帰結 | かつて「解決済み」とされた現象が、この探求によって「未解決」へと引き戻される |
一言でいえば——ブルークマンにとって、学問の進歩とは謎を減らすことではなく、安易に片付けられていた謎を、もう一度、本物の問いとして取り戻すことだった。