ブルークマンの思想は、この特集で読んだ一冊の教科書だけにとどまらない。ボップとシュライヒャーから受け継いだものと、同時代に真っ向から挑まれたもの——二つの糸をたどる。

ボップとシュライヒャーから受け継いだもの

別の記事で見たとおり、ブルークマンは自分の記述法を、ボップの流れる全体像とシュライヒャーの整然とした個別文法の「ちょうど中間」だと位置づけていた。しかし、彼が本当に乗り越えようとしたのは、記述のスタイルだけではない。シュライヒャーの特集で見たとおり、シュライヒャーは言語を自然の有機体そのものとして扱い、その変化を人間の意思から切り離された自然現象として説明した。ブルークマンの世代は、この発想そのものに距離を置いた。音法則も類推も、あくまで人間の話し手が言語を使い、次の世代に伝えていく過程で生じる現象であり、樫の木が自然に育つような、人間から切り離された生命現象ではない、という立場である。

出版のわずか1年前——シューハルトの挑戦状

ブルークマンの『比較文法要説』第1巻が刊行された1886年の、わずか1年前——1885年、オーストリアの言語学者フーゴー・シューハルトは、『音法則に抗して——青年文法学派に対抗して』(Über die Lautgesetze: Gegen die Junggrammatiker) と題する挑戦的な小冊子を発表していた。シューハルトは、「音法則は例外なく働く」という青年文法学派の原則そのものに疑問を投げかけ、言語の変化はもっと不規則で、社会的な要因——話者どうしの接触、方言のまじり合い、個人差——に満ちていると主張した。

つまり、ブルークマンが本書の序文で「例外には必ず理由がある」という信念を静かに書き記していたまさにその時期、この信念の土台そのものが、すでに同時代の学者から公然と攻撃されていたのである。

シューハルト 1885年 『音法則に抗して』 例外なき音法則を疑問視 ブルークマン 1886年 『比較文法要説』 例外には理由があると確信 わずか1年の差で刊行された、正反対の確信
ほぼ同時期に世に出た、二つの相反する確信。図:ToL

ミュラー・イェスペルセンとの距離

この特集のこれまでの人物たちとの関係も見ておきたい。マックス・ミュラーの特集で見た講義は、言語学を一般大衆に広めることに重きを置いていたが、青年文法学派の厳密な音法則志向とは、方向性がやや異なる。むしろ、時代的に近いのは、イェスペルセンの特集で見たオットー・イェスペルセンである。イェスペルセンは、ブルークマンよりやや若い世代に属し、音法則と類推という青年文法学派の枠組みを土台にしながらも、それをさらに、話者の心理や、実際の発話行為の分析へと広げていった。ブルークマンが切り開いた「例外には理由がある」という姿勢は、こうして次の世代にも、形を変えながら受け継がれていく。

まとめ

つながり内容
ボップ・シュライヒャーから記述スタイルの長所を統合しつつ、「自然現象としての言語」という発想からは距離を置いた
シューハルトとの対立出版のわずか1年前、音法則の例外なき規則性そのものへの公然たる反論が出ていた
イェスペルセンへ音法則と類推という枠組みは、次の世代によって、話者の心理分析へとさらに広げられた

一言でいえば——ブルークマンの「例外には理由がある」という確信は、決して当時の全員に共有されていたわけではない。同時代の学者からの公然たる反論と隣り合わせで、この教科書は世に出た。