この特集は、ウィリアム・ジョーンズ特集グリムの特集、その両方で予告されてきた主題を、ここで正面から扱う。「インド・ヨーロッパ語族」という言語学上の発見が、なぜ「アーリア人種」という根拠のない物語と結びついてしまったのか。そして、その言葉をもっとも早く、もっとも広く使った一人であるミュラー自身は、その誤用にどう向き合ったのか。この記事は、この特集のなかでもっとも重い主題を扱う。

「語族」から「人種」へ——すでに滑り込んでいた言葉

別の記事で見たとおり、ミュラーは1861年の講演で、すでにこう書いている。

The name Turanian is used in opposition to Aryan, and is applied to the nomadic races of Asia as opposed to the agricultural or Aryan races. (トゥランという名前はアーリアと対になる形で使われ、農耕民であるアーリア人種に対する、アジアの遊牧民族を指すのに用いられる。)

「アーリア」はもともと、サンスクリット語で「高貴な」を意味する語から取られた、言語の分類名だった——サンスクリット語・ギリシア語・ラテン語・ゲルマン語派などを含む、一つの語族を指す呼び名である。だがこの一文からもわかるとおり、ミュラー自身の筆から、早い段階で「語族」と「人種」が並んで語られていた。共通の言語を話していたという事実と、共通の血筋を持つ一つの「民族」だったという主張は、まったく別の話だが、この区別は当初から曖昧だった。「トゥラン」対「アーリア」という対比を語るとき、ミュラーの頭のなかでは、言語の系統という話と、遊牧民か農耕民かという生活様式の話、さらには「人種」という当時の学問用語が、一続きのものとして扱われていたふしがある。本人にその意図がなかったとしても、読者の側からすれば、語族の名前と人種の名前が同じ「アーリア」という一語で示されている以上、両者を同じものと取り違えるのは、むしろ自然な読み方だっただろう。

誤用が広がっていった経緯

この曖昧さは、ミュラーの手を離れたあと、さらに大きく育っていく。19世紀後半のヨーロッパでは、「アーリア人種」という言葉が、言語学の文脈を離れて独り歩きを始めた。「インド・ヨーロッパ語族の話者」という言語上の分類が、いつのまにか「金髪碧眼の、文明的に優れた一つの民族」という、まったく架空の人種像にすり替えられていく。

この飛躍には、少なくとも二つの誤りが積み重なっている。第一に、共通の祖語を話していた集団が、単一の「純粋な血統」を保ち続けたはずだという思い込み——実際には、言語は征服・交易・通婚を通じて、話す人々の血筋とは無関係に伝わっていく(このこと自体は、この特集の姉妹特集であるウィリアム・ジョーンズ特集でも繰り返し確認してきた)。第二に、言語上の分類に、文明の優劣という価値判断を重ねる誤り——別の記事で見た、屈折語を「最も進んだ段階」に置く発想が、ここでも同じ形で働いている。この誤用は、19世紀末から20世紀にかけての人種主義的な思想のなかで繰り返し利用され、最終的には20世紀のナチス・ドイツによる「アーリア人種」の優越を掲げたイデオロギーにまで行き着いた——言語学上の分類名が、史上最悪の部類に入る暴力を正当化する道具として悪用された、という事実は、正直に記しておかなければならない。

サンスクリット語 「高貴な」を意味する語 言語学の用語 語族の分類名 曖昧化 「語族」と「人種」の混同 悪用 根拠のない人種主義 ミュラー自身は③の曖昧さに早くから気づき、晩年に強く抗議した——だが誤用の広がりは止まらなかった
「アーリア」の語がたどった変質。図:ToL

ミュラー自身の訂正——「血でも骨でもない」

晩年のミュラーは、この誤用に対して、驚くほど明確な言葉で異議を唱えている。1888年に出版した著作『語の伝記とアーリア人の故郷』(Biographies of Words and the Home of the Aryas) で、彼はこう書いた。

I have declared again and again that if I say Aryas, I mean neither blood nor bones, nor hair nor skull; I mean simply those who speak an Aryan language. (私は繰り返し繰り返し宣言してきた——もし私が「アーリア人」と言うとき、それは血でも骨でも、髪でも頭蓋骨でもない。私が意味しているのは、単にアーリア語を話す人々のことだ、と。)

ここまで明確に、しかも「繰り返し繰り返し」という語まで添えて書かれている以上、これは思いつきの弁明ではなく、彼が長年抱え続けてきた苛立ちの、率直な表れだったと読むべきだろう。

さらに続けて、この誤用をした同業者たち——民族学者や人類学者を名乗りながら「アーリア人種」を語る者たち——に向けて、ミュラーは名指しに近い調子で、こう痛烈に言い放つ。

To me an ethnologist who speaks of Aryan race, Aryan blood, Aryan eyes and hair, is as great a sinner as a linguist who speaks of a dolichocephalic dictionary or a brachycephalic grammar. It is worse than a Babylonian confusion of tongues — it is downright theft. (私に言わせれば、「アーリア人種」「アーリアの血」「アーリア人の瞳や髪」を語る民族学者は、「長頭型の辞書」や「短頭型の文法」を語る言語学者と同じくらいの罪人だ。それはバベルの言語混乱よりもひどい——まったくの盗用である。)

「長頭型の辞書」「短頭型の文法」という皮肉は、頭蓋骨の形(当時の人類学で人種の指標とされていた)と、言語という、まったく次元の異なる二つのものを同一視する滑稽さを、ミュラー自身の得意分野である言語学の比喩を使って突き返した、痛烈な切り返しだった。だが、いったん公衆のあいだに広まった物語は、当の本人がどれだけ訂正を重ねても、簡単には消えなかった。

まとめ

この一連の経緯を振り返ると、ミュラーという一人の学者の内側に、鋭い自己批判の目と、当初の不用意な言葉づかいの両方が同居していたことがわかる。

論点内容
「アーリア」の本来の意味サンスクリット語由来の、言語(語族)を指す分類名
曖昧さの起源ミュラー自身、早い段階で「語族」と「人種」を並べて語っていた
誤用の帰結根拠のない人種主義に利用され、最終的にナチス・ドイツのイデオロギーにまで悪用された
ミュラー自身の対応1888年、「血でも骨でもない」と繰り返し明確に否定した
この記事が伝えたいこと用語を作った本人の訂正が、広まった誤用に追いつかないこともある

一言でいえば——「アーリア人種」という物語は、ミュラーが作ったものではなく、彼自身が生涯をかけて否定しようとしたものだった。だが、言葉がいったん独り歩きを始めれば、その言葉を生み出した本人の訂正すら、追いつかないことがある。学者一人の善意や訂正の努力だけでは、公衆のあいだに広まってしまった物語を押しとどめられない——この特集がここまで読んできた発見の歴史は、その重い教訓もあわせて伝えている。次の、そして最後の記事では、この特集全体を、二百年近くのちの視点からあらためて採点する。