1861年春、ロンドンのロイヤル・インスティテューション。週末ごとに開かれる一般向け講演に、満員の聴衆が詰めかけていた。演目は化学でも天文学でもない——「言語の科学」である。壇上に立ったのは、ドイツ生まれのオックスフォード大学教授、フリードリヒ・マックス・ミュラー(1823–1900)。この特集で扱う『言語学講義』(Lectures on the Science of Language) は、この年とその2年後、二度にわたって行われた講演の記録である。

詩人の息子、サンスクリットへ

ミュラーはドイツ・デッサウに生まれた。父ヴィルヘルム・ミュラーは詩人で、その詩はのちにシューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』の歌詞として不朽のものになる——言葉の美しさへの感受性は、家系のなかですでに育まれていた、と言いたくなるところだ。ライプツィヒ大学で学位を取ったのち、パリに渡り、サンスクリット学者ウジェーヌ・ビュルヌフのもとで学ぶ。1848年、24歳でオックスフォードに移り住み、インド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』の校訂という、生涯をかけた大事業に着手する——東インド会社の支援を受けたこの校訂版は、最終的に6巻、四半世紀以上の歳月を要した。

満員の講堂——学問を公衆のものにする

ミュラーの経歴で異色なのは、この途方もなく専門的な文献学の仕事と並行して、一般聴衆を相手にした講演者としても一流だった点だ。1861年、ロイヤル・インスティテューションから講演の依頼を受けたミュラーは、比較文献学という地味な主題を、化学者や地質学者の講演と肩を並べる娯楽として成立させてみせる。第1シリーズの冒頭で、彼は自らの主題をこう位置づけている。

The study of words may be tedious to the school-boy, as breaking of stones is to the wayside labourer, but to the thoughtful eye of the geologist these stones are full of interest — he sees miracles on the high road, and reads chronicles in every ditch. (単語の研究は、道端の労働者にとっての石割りのように、学童には退屈かもしれない。だが地質学者の思慮深い目には、その石こそ驚異に満ちている——彼は街道の上に奇跡を見出し、どんな溝の中にも歴史の記録を読み取る。)

単語の一つひとつに歴史の堆積を読み取ってみせる、この語り口が聴衆を惹きつけた。

出版された講演録の版を重ねる速さが、その人気を物語っている。第1シリーズは1861年の初版から数年のうちに早くも第5版に達した。専門書としては異例のベストセラーであり、「言語学」という分野の存在を、一般の英語読者に初めて広く知らしめた本と言ってよい。

1823 デッサウに誕生 1848 オックスフォードへ 1861 『言語学講義』第1シリーズ 1863 第2シリーズ 『リグ・ヴェーダ』校訂という専門仕事と並行して、一般聴衆向けの講演者としても活躍した
マックス・ミュラー、デッサウからオックスフォードへ。図:ToL

この特集の見取り図

この特集では、二つのシリーズの講演から、ミュラーの仕事の広がりと、その功罪の両方をたどる。次の2本は、専門用語なしでミュラーの中心的な主張——言語学は自然科学だという宣言と、グリムの法則の名づけ親としての顔——を紹介する。続く2本は、彼の語族分類と比較神話学の理論を、原文とともに精読する。そして最後の2本では、この特集がずっと予告してきた主題——「インド・ヨーロッパ語族」という発見が「アーリア人種」という誤った物語とどう結びついたか、そしてミュラー自身がそれにどう向き合ったか——を、正面から扱う。

まとめ

論点内容
誰がフリードリヒ・マックス・ミュラー(1823–1900、ドイツ生まれ、オックスフォード在住)
代表作『言語学講義』第1シリーズ(1861)・第2シリーズ(1863)
専門の仕事『リグ・ヴェーダ』の校訂(東インド会社支援、全6巻)
この本の意義「言語学」という分野を、一般読者に広く知らしめたベストセラー

一言でいえば——ミュラーは、比較言語学という専門分野を、満員の講堂で語れる公共の知に変えた最初の人物だった。その功績と、その影の両方を、この特集で読んでいく。