「知らざる筈なし」「来る者は拒まず」「子孫のためを思ふ」。この、「筈」「者」「ため」は、ふつうの名詞とは、どこか違う。何かを、はっきり指しているようで、それだけでは、何のことか分からない。松下大三郎は、こういう名詞に、「形式名詞」という名を与えて、名詞のなかに、はっきり位置づけた。『標準日本文法』の、名詞の細分(205–206頁)を、原文で読む。(以下、引用の現代語訳は ToL による。)
名詞を、三つに分ける
松下は、名詞を、三つに分ける。実質的な意義(中身のある意味)があるかどうかが、基準である。
本名詞とは実質的意義の確定した概念を表はす名詞である。例へば「山」「海」「鳥」「虫」「色」「音」「日本」「東京」などの類だ。
(本名詞とは、実質的な意味がはっきり定まった概念を表す名詞である。たとえば、「山」「海」「鳥」「虫」「色」「音」「日本」「東京」などの類である。)
代名詞とは実質的意義の定らない概念を表はして事物を指示する名詞である。例へば「我」「汝」「此れ」「其れ」「彼れ」「何」「誰」「孰れ」「某」などの類だ。
(代名詞とは、実質的な意味の定まらない概念を表して、物事を指し示す名詞である。たとえば、「我」「汝」「これ」「それ」「あれ」「何」「誰」「どれ」「某」などの類である。)
「山」は、いつ、誰が言っても、山である。だが、「我」は、話す人が変われば、指す人が変わる。だから、意味が「定まらない」。ただし、松下は、代名詞に実質的な意味がないわけではない、と念を押す。一定しないだけで、ある、と言う。
そして、この二つを、まとめて実質名詞と呼ぶ。では、三つ目は、何か。
形式名詞——意味が抜けた名詞
形式名詞は形式的意義ばかりで実質的意義の欠けた概念を表はす名詞である。
(形式名詞は、形式上の意味ばかりで、実質的な意味の欠けた概念を表す名詞である。)
松下が挙げる例は、次のとおりである。
| 例文(松下による) | 形式名詞 |
|---|---|
| 来る「者」は拒まず | 者 |
| 堪ふる「こと」能はず | こと |
| 其の言ふ「所」要領を得ず | 所 |
| 知らざる「筈」なし | 筈 |
| 子孫の「ため」を思ふ | ため |
| 知らざる「由」を答ふ | 由 |
| さる「かた」にあらまほし | かた |
ここに並ぶ名詞は、みな、単独では、何のことか分からないものである。松下は、その性質を、こう説明する。
例へば「者は拒まず」「筈なし」と云つては分らないが「来る者」「知らざる筈」など云へば分る。
(たとえば、「者は拒まず」「筈なし」と言っても分からないが、「来る者」「知らざる筈」などと言えば分かる。)
つまり、形式名詞は、意味のうちの、実質的な部分を抜いて、形式的な部分だけを表す。だから、実際に話のなかで使うときは、ほかの語で、その抜いた実質的な意味を補わなければ、意味が成り立たない。「来る」が付いて、はじめて「者」が、誰かを指す。
分業する名詞
松下は、形式名詞が、一つの概念を分けて、ほかの語に実質的な意味を表させ、自分は形式的な意味を表すことに注目し、さらに、こう述べる。
概念の表はし方が分業的であるから、互に対手を自由に選択して相結合することが出来る。此の点に於て形式名詞は名詞の最も発達したものである。
(概念の表し方が分業的であるから、互いに相手を自由に選んで結びつくことができる。この点で、形式名詞は、名詞のなかで、最も発達したものである。)
「者」も「筈」も「ため」も、前にどんな語が来るかで、実質的な意味が決まる。実質的な意味を、まわりの語に任せて、自分は形だけの役に徹する。これが分業である。松下は、この身軽さを、名詞の「最も発達したもの」と評価する。
名前がなかった
もう一つ、大事なことが、書かれている。
欧洲語には形式名詞がない。其れ故彼等の文典にはその名称がない。日本文典にもその名称がない。
(ヨーロッパの言語には、形式名詞がない。だから、彼らの文法書には、その名前がない。日本の文法書にも、その名前がない。)
松下は、ヨーロッパの文法書に、この名前がないことを、はっきり述べている。そして、日本の文法書にも、なかった、と言う。しかも、松下によれば、従来の文典は、名詞を「事物を名づける詞」と定義していたので、その定義では、形式名詞は、名詞の仲間に入らなくなる。「名づける」を広く解して形式名詞まで含めるなら、勢い、代名詞をも含めることになる、と松下は続ける。こうした事情が、名詞を三つに分ける松下の整理の背景にあると読める。
従来の文典の、「代名詞は名の代りになる詞」という定義への疑問は、やさしい解説③でも見た。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、「形式名詞」という言い方は、松下が、この名前をつけたのか、それ以前にもあったのかを、この記事では確かめていない。 松下自身は、この箇所で、従来の日本の文法書にその名がなかった、と書いている。「形式名詞」の呼び名の来歴は、別に調べる必要がある。
第二に、松下の三分が、日本語の名詞の全体を、きれいに整理できているかは、別の問題である。 三分の中身は、松下の基準——実質的な意義があるか、ないか——に基づいている。同じ基準で、どの語まで形式名詞に入れるかは、この記事では、確認していない。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 名詞の三分 | 本名詞・代名詞・形式名詞 |
| 実質名詞 | 本名詞と代名詞。実質的意義がある(代名詞は「一定しない」だけ) |
| 形式名詞 | 形式的意義ばかりで、実質的意義の欠けた名詞。者、こと、所、筈、ため、由、かた など |
| 性質 | 単独では意味が分からず、ほかの語が、実質を補う(分業) |
| 評価 | 相手を自由に選んで結びつく。「名詞の最も発達したもの」 |
| 名前 | ヨーロッパの文典にも、従来の日本文典にも、名称がなかった、と松下は述べる |
一言でいえば——松下大三郎は、「者」「こと」「筈」のように、意味が抜けて形だけが残った名詞を、「形式名詞」という名で、実質を補ってもらう分業の名詞として、名詞のなかに位置づけた。